2022年兵 庫

哲学の小径〜三木清記念碑〜
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童謡の小径を下る。


国民宿舎「赤とんぼ壮」に出る。

令和3年(2021年)3月28日、国民宿舎「赤とんぼ壮」宿泊・休憩業務を休止。

哲学の小径を下る。

三木清記念碑


怒について三木清

 今日、愛については誰も語ってゐる。誰が怒について眞剣に語らうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るといふことは今日の人間が無性格であるといふことのしるしである。

 切に義人を想ふ。義人とは何か、怒ることを知れる者である。

「人生論ノート」より



しんじつの
 秋の日てれば
   せんねんに
心をこめて
 歩まざらめや

三木清のレリーフ


三木清(1897年〜1945年)

揖西村小神に生まれた。龍野中学、第一高等学校を経て西田幾多郎を慕い京都帝國大學にに入って哲学を学んだ。1920年大学を卒業した。1922年ドイツに留学しリッケル・ハイデッガーについて学んだ。そのころドイツに留学していた日本の社会科学者たちと交った。1925年帰朝し第三高等学校の講師となった。翌年「パスカルに於ける人間の研究」を出版した。1927年法政大学教授となって東京に移った。この年から学校での講義はもちろん、執筆、講演等に新進哲学者として活躍した。多くの青年学校が周囲に集まった。1930年治安維持法違反のため検挙され後執行猶予となったが、その間に教職を去った。これ以後三木清はついに講壇に登らなかった。1937年、日華事変の起こるとともに、日本はますます暗い時代が来た。三木清は学者の良心の灯を消すことなく、たえず研究をつづけ広い文筆の活動を行なった。三木清の哲学者としての業績は哲学を講壇の狭い視野から解放して時代の切実な問題と結びつけたことにあった。その多方面にわたる著作は死後出版された16巻の「三木清著作集」に収められている。1944年3月、ふたたび検挙されて警視庁および豊多摩拘置所に留置された。そのまま終戦を迎えたが、釈放されることなく9月26日病のため獄中で死んだ。48年8ヶ月の生涯であった。三木清の獄死を契機として治安維持法が撤廃されたと聞く。眞理の探究にその一生を捧げ、わが思想界に深い影響を與えた三木清を顕彰するためわれわれはこの碑を建立する。

三木清の会

大変勉強になった。

文学の小径へ。

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