2022年兵 庫

龍野城〜加藤三七子句碑〜
indexにもどる

紅葉谷から龍野城へ。

隅 櫓


石段を上る。


門を入る。


龍野町立・龍野市立龍野中学校跡地である。

龍野城

 龍野城は今から500年ほど前(室町時代の末期)、鶏籠山(けいろうざん)山頂に築かれたもので、初代城主は赤松村秀でありました。以後、赤松時代は四代続きましたが、天正5年(1577年)に信長の命による秀吉の播州征伐の軍門に降り、開城しました。その後、慶長初年に山頂にあった天守が破却されたといういい伝えがあります。江戸時代に入ると龍野城は現在地に平山城として築かれましたが、万治元年京極高和の丸亀移転にさいして破却され、その後14年間は天領となっていました。寛文12年(1672年)、幕命によって信州飯田から脇坂安政が5万3千石で入部し龍野城を再建しましたが、時代はすでに大平の世でもあり、また外様大名でもあったので、幕府の嫌忌に触れることを怖れ、御殿式の築城に決したといわれ、そのため城郭というより武装化した邸宅と考えていただければよいと思います。

 現在の本丸御殿は、昭和54年に再建したものですが、再建にあたっては当時を偲ぶ貴重な資料や現在残る数点の古図に基づき重建したものです。

 (くわしくは「龍野城史のあらまし」「龍野城本丸御殿のあらまし」をごらんください。)
龍野市

本丸御殿


 寛永14年(1637年)、松江26万石の藩主であった伯父の京極忠高が没したため、京極高和はその末期養子となり、播磨龍野藩6万石へと減封される。

国民宿舎「赤とんぼ壮」が見える。


県立龍野高等女学校跡地に加藤三七子の歌碑。


朧銀の
水のめぐりて
初ざくら

大正14年(1925年)4月27日、龍野町旭町に生る。

昭和17年(1942年)、旧制県立龍野高女30回卒業。

昭和34年(1959年)、阿波野青畝に師事。

昭和52年(1977年)、文章と俳句の月刊雑誌「黄鐘(おうじき)」を創刊・主宰。

平成17年(2005年)4月5日、79歳で逝去。

平成19年(2007年)9月23日、句碑除幕。

知らなかった。

如来寺へ。

2022年兵 庫〜に戻る