『奥の細道』 〜北陸〜


〜天龍寺〜

えちぜん鉄道勝山永平寺線で永平寺口から松岡へ。


平成15年(2003年)、えちぜん鉄道開業。

天龍寺へ。


清凉山天龍寺


曹洞宗永平寺の末寺である。

天龍寺に芭蕉塚があった。


松岡町指定文化財

芭蕉塚

 芭蕉塚は松尾芭蕉(1644〜1695年)の百五十回忌に同好の人たちによって天保15年に建てられた。

 芭蕉は松岡天龍寺大夢和尚を訪ね、元禄2年(1689年)の8月11日、芭蕉は北枝と共に天龍寺を旅立ち、町はずれの茶屋に休まれたと伝えられている。その茶屋で北枝との別れに臨み、贈答句を作った。

物書て扇引さく餘波哉

 芭蕉は元禄2年3月に江戸を立ち、東北、北陸を経て同年9月の大垣までの旅行が『奥の細道』に記され、この地に立ち寄ったことがわかる。

 この芭蕉の訪れは、、松岡俳壇が生まれる大きな要素となった。

松岡町教育委員会

芭蕉の句碑


物書きて扇引きさく余波かな

昭和53年(1978)8月、松岡町善意會建立。

丸岡天竜寺の長老、古き因あれば尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて、

物書て扇引さく余波哉

『奥の細道』

余波の碑


平成元年(1989年)9月9日、芭蕉翁来松三百年記念事業実行委員会建立。

松岡にて翁に別侍し時、あふぎに書て給る。

もの書て扇子へぎ分(わく)る別哉
   翁

 笑ふ(う)て霧にきほひ出ばや
   北枝

となくなく申侍る。

天龍寺で詠まれたとされる句がある。

   天龍寺にて

門に入は蘇鉄に蘭の匂ひかな


   丸岡天龍寺にいたりて

門に入ハ蘇鉄に菊の匂ひかな


      丸岡天龍寺にて

   門に入ば蘇鉄に蘭の匂ひ哉

一本に守栄院にてとあり、いづれかしらず。


「一本」は『笈日記』(伊勢部)であろう。

2006年2月13日、松岡町は合併で永平寺町になった。

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