元禄2年(1689年)、松尾芭蕉と同行の曾良は、奥の細道の旅の途中、7月13日(新暦では8月27日)の夕方滑川に着き宿った。旅籠の川瀬屋という説が有力でこの辺りにあった。宝暦13年(1763年)に『俳諧早稲の道』を著した川瀬知十は翁の宿泊を記念して自家の壇那寺である徳城寺の境内に「早稲の香や分け入る右は有磯海」の吟詠を刻んだ句碑を建立した。徳城寺は、この頃はまだ新(荒)町の海辺にあったが、明治13年(1880年)に、句碑とも現在地に移転した。 |
新町は、大町、瀬羽町に次いで、慶長年間に新しくできた町であったと伝えられる。海岸線に平行して東西に北国(北陸)街道が走り、その両側に家並みが連なり、浜に抜ける小路が発達した。
滑川市 |
平成元年(1989年)10月、奥の細道紀行300年記念に滑川市建立。山岡壽海書。 |