『奥の細道』 〜東北〜
〜安種亭令道寺島彦助宅跡〜
酒田市中町1丁目に安種亭令道寺島彦助宅跡がある。
「暑き日を海に入れたり最上川」は芭蕉句集に「寺島彦助亭」と前書があり、継尾集には「安種亭より袖の裏を見渡して」と前書がある。されば寺島彦助の俳号は安種であることがわかる。
元禄2年(1689年)6月13日、芭蕉は鶴岡から酒田に到着して伊東玄順亭に2泊する。14日、寺島彦助に招かれる。
十四日 寺島彦助亭へ 被レ招。俳有。
『曽良随行日記』
安種亭令道寺島彦助宅跡
六月十五日、寺島彦介亭にて
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涼しさや海に入(いれ)たる最上川
| ばせを
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月をゆりなす浪のうき海松(みる)
| 令道
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6月19日、芭蕉は江戸に行く寺嶋彦助に杉風・鳴海寂照・越人宛ての手紙を託している。
○十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺嶋彦助江戸へ被レ趣ニ因テ状認。翁より杉風、又鳴海寂照・越人へ被レ遣。予、杉風・深川長政へ遣ス。
『曽良随行日記』
明治40年(1907年)10月26日、河東碧梧桐は寺島彦助について書いている。
芭蕉は不玉の家にばかりおったのでなくて、通称彦助という者の宿にも滞留した。寺町のさる家であったとばかりで、これも訊ぬべき資料はないそうなが、「暑き日を海に入れたり最上川」は彦助方の作である。句集に寺島彦介亭という前書がある。
昭和22年(1947年)2月21日、斎藤茂吉は藤井康夫邸から酒田の街を散策している。
安種亭のことをおもひて現(うつつ)なる港に近き道のぼりけり
『白き山』
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