『奥の細道』


〜(越後路)俳文碑〜

鶴岡市鼠ヶ関の国道7号(羽州浜街道)沿いに「念珠関跡」がある。

 「念珠関跡」から弁天島に行く道の分岐点に『奥の細道』(越後路)の俳文碑があった。


酒田の余波日を重ねて北陸道の
雲に望むやうやうのおもひ胸を
いたましめて加賀の府まで百三十里
と聞
鼠の関をこゆれば越後の地に
歩を改めて越中国一ふり
の関に到るこの此間九日暑湿の
労に神をなやまし病おこりて
ことをしるさじ

松尾芭蕉「おくの細道」よりより

 平成元年(1989年)7月3日、芭蕉紀行300年記念で住民の寄進により鼠ヶ関地域協議会建立。鶴岡市本間月山揮毫。

「おくの細道」の一節みちのくの旅をひととおり。

翁は元禄2年(1689年)7月26日温海惣左衛門宅に1泊。鼠ヶ関の関所を越える。

ここからは越後路、帰心矢の如く加賀の府まで百三十里と聞く。旧暦8月の暑さに負けて病を拾い、記すこともないまま旅を続けた。

「7月」は6月、「旧暦」は新暦の誤り。

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