『奥の細道』東 北


〜飯坂温泉〜

飯坂温泉の摺上川畔に滝ノ湯跡がある。


摺上川


新十綱橋が見える。

明治期には、摺上川に渡し舟が往来していました。

滝ノ湯跡

 滝ノ湯は古くからの温泉で、江戸時代に鯖湖湯・当座湯・波来湯とともに実在が確認されています。昭和12年に焼失し、その跡は埋められたままになっていました。

滝ノ湯跡に「俳聖松尾芭蕉ゆかりの地」の碑があった。


其夜飯塚(飯坂)にとまる。温泉あれば湯に入りて宿をかるに、土坐に筵を敷てあやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て雷鳴、雨しきりに降りて、臥る上よりもり、蚤蚊にせゝられて眠らず。持病さへおこりて、消入斗になん。短夜の空もやうやう明れば、又旅立ちぬ。猶夜の余波、心すゝまず。馬かりて桑折の驛に出る。

『奥の細道』の俳文碑である。

 元禄2年(1689年)奥の細道旅行の芭蕉は信夫文知摺医王寺大鳥城跡をたずねた後、5月2日飯坂に泊まりました。その頃飯坂は、すでに温泉地として栄えていましたが、芭蕉は土間にむしろをしいたような貧しい家に一夜をすごしました。

 その場所が滝の湯であったと伝えられています。

 今、この滝の湯跡に記念碑を建て、奥の細道本文の一節を刻み、ながく俳聖のきたるをしのぶよすがとする。

   昭和43年11月2日

飯坂温泉観光協会
飯坂温泉旅舘組合

明治26年(1893年)7月26日、正岡子規は雨の中を飯坂温泉出立。

二十六日朝小雨そぼふる。旅宿を出でゝ町中を下ること二三町にして數十丈の下を流るゝ河あり。摺上川といふ。飯坂湯野兩村の境なり。こゝにかけたる橋を十綱の橋と名づけて昔は綱を繰りて人を渡すこと籠の渡しの如くなりけん。古歌にも

      みちのくのとつなの橋にくる綱の

            たえずも人にいひわたるかな

など詠みたりしを今は鐡の釣橋を渡して行來の便りとす。大御代の開花旅人の喜びなるを好古家は古の様見たしなどいふめり。

      釣り橋に亂れて涼し雨のあし


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