『奥の細道』 〜東北〜
〜鐙摺石〜
国見町から国道4号で国見峠を越えると、宮城県白石市。
馬牛沼を過ぎて旧道に入ると、「あぶみすり坂」がある。
源義経一行が平泉に向かう際に馬の鐙を摺って通ったという伝説が残っている。
鐙摺石
元禄2年(1689年)5月3日(新暦6月19日)、芭蕉は飯坂温泉を出て万牛沼のほとりを過ぎ、鐙摺りにかかった。鐙摺りは斎川入り口にあった馬のあぶみをこする岩のある一騎立ちの難所であった。
今はその面影を偲ぶべくもない。
『奥の細道』の記述は「鐙摺・白石の城を過、」これだけである。
甲冑堂に『曽良随行日記』の碑があった。
さい川ヨリ十町程前ニ、
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万ギ沼、万ギ山有。ソノ下ノ道、
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アブミコフシト云岩有。二町程
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下リテ右ノ方ニ、次信・忠信ガ
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妻ノ御影堂有。同晩白石ニ宿ス。
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反対側に『奥の細道』の一節が刻まれている。
ふたりの嫁がしるしまずあわれなり
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女なれどもかひがいしき名の
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世に聞えつるものかなと
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袂をぬらしぬ。
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明和6年(1769年)4月、蝶羅は鐙摺で句を詠んでいる。