『奥の細道』


金売り吉次の墓

壬生町上稲葉の国道352号沿いに金売り吉次の墓がある。


金売り吉次の墓


金売り吉次の墓(伝説)

 金売り吉次は、鎌倉時代の初めに源義経に仕えた金売り(砂金などの売買を商売とした者)です。

 義経は平家を壇ノ浦に滅ぼした後、兄頼朝と不仲になり、奥州平泉へ逃れました。吉次は義経の伴をし、この稲葉の地まで逃れてきましたが、病にたおれこの地で生涯を終えました。里人たちにより、吉次の墓とともに吉次の守護仏である観音樣を祀ったお堂(ここより約20メートル東に現存)が建てられたといわれています。

 また、江戸時代の『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記に、

「壬生ヨリ楡木へ二リミフヨリ半道ハカリ行テ吉次が塚右ノ方二十間ハカリ畠中に有」

と記されています。

   昭和62年3月

壬生町教育委員会

福島県白河市にも金売吉次の墓がある。

国道352号は日光道中壬生通り(日光西街道)。

 壬生通りには、小山の喜沢から今市の間(約45km)に11箇所の一里塚があった。

稲葉の一里塚


 江戸日本橋から数えて24里目の一里塚で、塚の上には松が植えられていたそうだ。

 元禄2年(1689年)3月29日(新暦5月18日)、芭蕉は壬生通りを行き日光に向かった。

『奥の細道』に戻る