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明治36年(1903年)6月28日、小樽中央駅として開業。7月1日、稲穂駅に改称。 明治38年(1905年)12月15日、中央小樽駅に改称。 明治41年(1908年)1月19日、石川啄木は妻節子に見送られ、中央小樽駅から釧路へ向かった。 明治42年(1909年)10月12日、函館本線の駅となる。 明治44年(1911年)3月8日、斉藤吉郎は小樽市に生まれる。 大正9年(1920年)7月15日、小樽駅に改称。 昭和12年(1937年)、斉藤吉郎は東京の構造社研究所で斎藤素巌に師事。 |


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小樽の産業は、右に描かれているニシン漁から始まりました。明治末期には最も漁獲があり、しだいに少なくなってきましたが、ニシン漁で経済力をつけていた小樽は、北海道開拓の玄関となったこともあって、海陸物産の集散地として栄えるようになりました。大正期には有幌の倉庫群に、豆などの雑穀をぎっしり貯え、世界の相場に影響を与えるまでになりました。 商業の町として発展し、世界に雄飛するようになった小樽色内町一帯には、大規模な石造店舗や華麗な銀行の建物が軒を並べるようになりました。 小樽市 |
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明治13年、北海道で最初、日本で3番目の鉄道が小樽の手宮と札幌の間に開通しました。当時は左に描かれているアメリカ製の古典SLが活躍していました。 明治36年には右に描かれている旧小樽駅が完成、函館とも鉄道で結ばれました。港町小樽は、これで名実ともに海陸の拠点となったのです。活溌な貨物の動きにこたえて、町の通りでは馬車や人力車、冬には馬ソリが威勢良く走っていました。昭和9年には北海道で最初の鉄道省栄バスが、やはり手宮と札幌の間に走り、庶民の足として客馬車も人気を集めていました。 小樽市 |

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