狩太駅よりすれば八九里、室蘭よりするも八九里にして、洞爺湖に達すべし。円形を成して、二里半四方、沿岸に出入なく、部落散在す。南に近く有珠山、双耳を欹て、北に稍遠く蝦夷富士秀色を送る。中心に中島とて周囲二里ばかりの島山あり。風致を添へ、その中島の南に近く、観音島、饅頭島などありて、益々風致を添ふ。中島の頂上には観音堂さへあり。海を距ること一里に過ぎざるに、この偉大なる山湖あるは、亦珍とすべき也。
「北海道山水の大観」(洞爺湖) |
昭和6年(1931年)6月3日、与謝野鉄幹・晶子夫妻は室蘭から洞爺湖温泉へ。 |
室蘭を立ちて來ぬればなほ潮のしぶきと思ふ洞爺の雨も 水神の植半ほどの棧橋す蝦夷の洞爺のみづうみのきし
「北海遊草」 |
爺湖町の洞爺中央桟橋に「与謝野寛・晶子文学碑」があるというので探してみたが、見当たらない。何度も尋ねてみると、対岸の洞爺村にある浮見堂の辺りにあるらしいということだった。 |
昭和6年(1931年)6月4日、荻原井泉水は洞爺湖へ行く。 |
六月四日、虻田といふ驛より電車にて洞爺湖へゆく 湖の見えて來、橡の芽の雨はるる道 有珠から霧のはれかかるいたどりの花 洞爺湖畔に着いて日いまだ暮れず、湖の水のひたひた と寄する温泉に浴して、第一ホテルといふに泊る 蝦夷富士か雨雲のあかるきは西か 水にもうつる蝦夷富士が五月雨の霄れ間 洞爺湖の朝は又雨なり、けふは室蘭にゆくとて、六月 五日 ばさばさと夜の青みくるに飛ぶからす そのなかさみだるる小島がみづうみの中
『海潮音』 |