2017年〜北海道〜
留萌市海のふるさと館〜「若者たち」の歌碑〜
江戸時代末期、この地は北蝦夷地や奥蝦夷地に異変があった場合の連絡用の烽火台が設置された場所であり、弁財船がルルモッペ(留萌)を出航する際に気象を観測した日和山として使われた由緒ある場所です。 平成元年10月1日 |
北海道の名付け親であり、当時随一の蝦夷通といわれた松浦武四郎は弘化3年、安政4年、5年の3回にわたってルルモッペを訪れています。その記録は再航蝦夷日誌、丁巳日誌、回浦日誌、西蝦夷日誌六編にくわしく述べられています。また、彼の残した東西蝦夷山川地理取調日誌はその地名の豊富さと内陸部の様子を詳しく描いている点で貴重な資料となっています。 |
昭和3年(1928年)、佐藤勝は留萌で生まれる。 |
||||||||
昭和41年(1966年)9月、「若者たち」作曲。 |
||||||||
平成11年(1999年)、71歳でなくなった。 |
きみのゆくみちは はてしなくとおい |
|||||
だのになぜ はをくいしばり |
|||||
きみはゆくのか そんなにしてまで |
生れたときのまま この海この音 |
|
私は 留萌の語り草になりたい |
|
佐藤勝 1977年秋 |
平成9年(1997年)9月6日、留萌市開基120年・市制施行50年・開港60年記念事業実行委員会建立。 |