2008年北海道

高龍寺〜『宗祇戻』(風光選)〜
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函館市船見町に高龍寺という寺がある。


高龍寺山門


 高龍寺は、寛永10年(1633年)松前の曹洞宗法源寺の末寺として亀田村(現在の市内万代町辺り)に建てられたのが始まりで、市内で最も古い寺院である。

 宝永3年(1706年)弁天町に移転後、幾度か大火などのため建物を焼失し、明治12年(1879年)この地に移転した。

 明治43年(1910年)に完成した山門は総ケヤキ造りで、東北以北最大の山門といわれ、また、彫刻が見事なである。いずれも当時の名工達の作で、明治時代末期の貴重な木造寺院である。

 境内には、明治2年(1869年)の箱館戦争のとき、野戦病院となったこの寺で斬殺された会津藩士を供養する「傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑」などがあり、墓地には勝海舟と親交があった渋田利右衛門や、日本最初に種痘を行った中川五郎治などの墓がある。また、松前藩家老で、人物花鳥にすぐれた画家であったである蠣崎波響の最高傑作「釈迦涅槃図」(北海道指定有形文化財)を保存している。

函館市

傷心惨目の碑


傷心惨目

撰宋岳飛真蹟李華古戦場文字勒石
以弔焉       會津残同胞共建

 明治十三年

 宝暦2年(1752年)、和知風光は『宗祇戻』の旅で高龍寺を訪れている。

     松前箱館の湊

曹洞宗高竜寺へ誹士にともなはれて二十吟計集居て発句所望有

見る所一円相に茂哉

『宗祇戻』(風光撰)

 文化7年(1810年)9月5日、松窓乙二は大間浜に到着した。大間浜から船で函館に入港。冬には高竜寺の境内に「斧の柄」を設けた。

   斧の柄と名づけて。僑居に移りし時。

折芝の猶細かれや爐のけぶり


高龍寺中庭に芭蕉の句碑があるはずだが、見られなかった。

後日、見に行った。

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