この碑銘「花不語」(花は語らず)は、故人が揮毫に用い、心情の一端を托した言葉である。 梶山季之は昭和5年、ソウルに生まれ、終戦後、両親の郷里地御前(現廿日市市)へ引揚げた。のち、市内水主町(現加古町)に居住、学生時代を送った。 在学中より文学への素志を培い、有志をあつめ、主導的役割をもって、焦土広島の地における文化の創造と振興に関与、その実践力は抜群の成果を生み、文化的営為の基礎づくりに貢献した。昭和28年上京、昭和37年、「黒の試走車」により。一躍、世評を高め、文学の一分野を拓いた。爾後、その著作は、昭和40年代の社会環境を如実に反映し、さらに季節社を創設して、日本文壇基礎資料収集に尽力、近代作家研究に重要な文献を残した。 昭和50年5月、取材のため香港へ赴き客死。行年45。 故人の旺盛な活力と文業を偲び、有志あい集まって、広島の未来にわたる文化振興のため、縁となることを願い、ここに故人ゆかりの地にこれを建つ。 |