2023年広 島

平和記念公園〜峠三吉詩碑〜
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国立広島原爆死没者追悼平和祈念館


明治20年(1887年)5月、横江嘉純は富山県婦負郡保内村(現:八尾町)に生まれる。

祈りの像


祈りの像は、終戦15周年に当たる昭和35年8月15日に、新日本協議会主催の平和記念慰霊国民大祭実行委員会によって建てられました。第二次世界大戦を始め幾多の困難に際して国に殉じた犠牲者の慰霊と平和への祈りをこめた記念碑です。台座に立つ子供を抱いた若い夫婦の像は、彫刻家の横江嘉純氏の制作です。台座の右手前には、広島出身の詩人大木惇夫(あつお)氏の作「平和を祈り御玉を鎮めん」と題する詩碑があります。

昭和37年(1962年)、横江嘉純は75歳で死去。

大木惇夫の詩碑


  平和を祈り
  御霊を鎮めん
大木惇夫
山河に歎きはみちて
叫ぶ聲あり、戦ひは
げに人類の恥辱ぞと
ああ奮ひ起ち挙り立て
心つなぎてつつましく
世界の平和 祈らばや
 やすらぎの日をもたらして
 國に殉ぜしもろ人の
 み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ、地下に哭くなかれ

青空の光をうけて
闇を絶たずや戦ひは
げに人類の愚劣なり
ああ奮ひ起ち挙り立て
呼べば應へてたくましく
世界の平和 祈らばや
 やすらぎの日をもたらして
 國に殉ぜしもろ人の
 み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ、地下に哭くなかれ

夕星のさとしはありて
こだま地にみつ戦ひは
げに人類の自滅ぞと
ああ奮い起ち挙り立て
まこと盡して美はしく
世界の平和 祈らばや
 やすらぎの日をもたらして
 國に殉ぜしもろ人の
 み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ、地下に哭くなかれ

平和の灯


平和祈念像


平和祈念像は、全国の学童の募金や広島商工会議所などの協力によって建立されたもので、1.8メートルの台座に、1.4メートルの母子像が立っています。台座は募金によりましたが、像は圓鍔勝三氏の寄贈によります。ちょうど原爆死没者慰霊碑を見守る格好で、若い母親に抱かれた子どもが、平和のラッパを吹いて、その前に三日月がかかっています。昭和52年8月2日、除幕式を行いました。制作者の圓鍔氏は除幕に際して「親から子どもへ、きのうよりもあすへ。三日月もやがて満月になる。新しい未来を求めて、平和のラッパを鳴らしたい」との意図を語りました。この像の横に詩人草野心平氏の「平和祈念像によせて」(昭和52年(1978年)8月)の詩碑が建てられています。

草野新平の詩碑


  平和祈念像に
  よせて

天心の三日月の上に
幻でない母と子の像
これこそ永遠の平和の象徴
童子よ母の愛につつまれ
金のトランペットを吹き鳴らせ
天にも地にも透明な
平和の調べを吹きおくれ
どんな未来がこようとも
頬っぺいっぱいふくらまし
No more Hiroshima の
金のトランペットを吹き鳴らせ

峠三吉詩碑


ちちをかえ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

昭和28年(1953年)3月10日、峠三吉死去。享年36歳。

昭和38年(1963年)8月6日、詩碑建立。

裏は英訳だった。


Give Back the Human

Give back my father, give back my mother;
Give grandpa back, grandma back;
Give my sons and daughters back.
Give me back myself,
Give back the human race.
As long as this life lasts, this life,
Give back peace
That will never end.

嵐の中の母子像へ。

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