2024年広 島

広島護国神社〜英霊にささぐ〜
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史跡広島城二の丸表御門(復元)


 表御門は天正期末(16世紀末)頃の構造と推定され、昭和20年の原爆破壊による焼失の約350年間存続していました。

 現在の表御門は、平成元年の広島城築城四百年を記念して復元に着手し、平成3年に完成したものである。

 この平成の復元では、昭和9年に当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図をもとに、発掘調査の成果や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討して、焼失後も残存した表御門の礎石(柱下の石)上に、昔どおりの工法によって往時の姿をよみがえらせています。

広島市教育委員会

焼失以前の表御門


広島護国神社


由緒
 当社は明治元年、藩主朝命を奉じ戊辰の役の陣歿物78柱の御霊を二葉の里に奉祀した水草霊社に起源する。

 明治8年官祭招魂社に列せられ、同34年 広島招魂社と改称される。昭和9年秋、当時の西練兵場の西端に社地を遷し新社殿が造営された。

 昭和14年、広島護国神社と改称されたが、同20年8月6日、原子爆弾の災禍により社殿悉く灰燼に帰した。

 その後、同所に小祠を建てて祭祀が続けられたが、神社復興の気運が高まり、復興奉賛会が結成され多くの県民の浄財により昭和31年11月、現在の広島城跡に荘厳なる社殿が造営された。

 昭和46年、昭和天皇、香淳皇后御親拝の栄に浴するやその御聖徳により社頭は隆盛を極めた。平成5年4月、御大典記念事業として本殿・幣殿・拝殿の御社殿が竣功した。

 平成21年7月、御創建130年記念事業として全ての整備事業が竣工した。

 御祭神は、戊辰の役より大東亜戦争に至る戦歿者及び原爆死歿者を祀る。

別表神社広島護国神社

英霊にささぐ


碑 陰

父慕い
母の育み
  幾春秋
深き恵みに
 われはこたえん

昭和53年(1978年)10月、建立。藤澤美樹鋳造。

やや左から
   
やや右から

   


広島城


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