榎本其角



『雑談集』(其角著)

其角著。元禄4年(1691年)、成立。同5年2月、刊。

一、伏見にて、一夜俳諧もよほされけるに、かたはらより「芭蕉翁の名句、いづれにてや侍る」と、尋出られけり。折ふしの機嫌にては、大津尚白亭にて、

   辛崎の松は花より朧にて

と申されるこそ、一句の首尾、言外の意味、あふみの人もいまだ見のこしたる成べし。其けしき、こゝにもきらきらとうつろい侍るにや」と申たれば、又かたはらより、中古の頑作にふけりて、是非の境に本意をおほはれし人さし出て、「其句、誠に俳諧の骨髄得たれども、慥(たしか)なる切字なし。すべて名人の格的には、さやうの姿をも発句とゆるし申にや」と不審しける。答へに、「哉どまりの発句に、にてどまりの第三を嫌へるによりて、しらるべきか。おぼろ哉と申句なるべきを、句に句なしとて、かくは云下し申されたる成べし。朧にてと居(スヘ)られて、哉よりも猶徹たるひゞきの侍る。是、句中の句、他に的当なかるべし」と。此論を再、翁に申述侍れば、「一句の問答に於ては然るべし。但予が方寸の上に分別なし。いはゞ、さゞ波やまのゝ入江に駒とめてひらの高根のはなをみる哉、只眼前なるは」と申されけり。

一、荷兮集『あら野集』に、「辞世」とあり。

   散花に南無阿弥陀仏と夕べ哉   守武

 彼集のあやまりか。神職の辞世として、何ぞ此境をにらむべきや。只嗚呼(アゝ)と歎美してうちおどろきたる落花か。

一、 さみだれにかくれぬものや瀬田のはし

此のはしの名大かたの名所にかよひて、矢矧のはしとも申べきにや。長橋の天にかゝる、勢田一橋にかぎるべからず、と難ぜしよし、京・大津より聞え侍るに、去来が

   湖の水まさりけりさ月雨

と云へる、まことに湖鏡一面にくもりて、「水接天」とみえぬ。八景の亡ぜし折から、この一橋を見付たる、時と云、所といひ、一句に得たる景物のうこかざる場を、いかで及ぬべきや。文章のみものにあつからずと云へる瞽者のたぐひ成べし。

一、翁、北国行脚のころ、さらしなの三句を書とめ、「いづれか」と申されしに、

   「俤や姨ひとり泣ク月の友

といふ句を可然に定たり」と申ければ、「誠しか也。一句、人目にはたゝず侍れども、其夜の月の天心にいたる所、人のしる事少(まれ)なり」と悦び申されけり。されば友吉が、

   さらしなの月は四角にもなかりけり

といふ句は、武さし野ゝ月、須广・あかし・絵嶋にかけても影同じ。さみだれにかくれぬ橋、いかでふみたがふべきや。



 入相と聞えしほどに、門主薨御のよしをふれて、鳴物とゞめさせ給へば、悲しき哉や、かゝる日、かゝる時ありて、かくは世をさとしめ給ふことよと、仏心・非情・草木にいたる迄、さで(濁ママ)のみこそは侍りけれど、愁眉沙汰する事をおもひて、

其弥生その二日ぞや山ざくら
   角

一、其去年にかはりて、山のにぎはひ又更也。

小坊主や松にかくれて山ざくら
   角



一、加щ熨の一笑は、ことに俳諧にふけりし者也。翁行脚の程、お宿申さんとて、遠く心ざしをはこびけるに、年有て重労の床にうち臥ければ、命のきはもおもひとりたるに、 父の十三回にあたりて、哥仙の俳諧を十三巻、孝養にとて思ひ立けるを、人々とゞめて、息もさだまらず、此願のみちぬべき程には、其身いかゞあらんなど気づかひけるに、死とも悔なかるべしとて、五哥仙出来ぬれば、早筆とるもかなはず成にけるを、呼(かたいき)に成ても猶やまず、八巻ことなく満足して、これを我肌にかけてこそ、さらに思ひ残せることなしと、悦びの眉重くふさがりて、

心から雪うつくしや西の雲
   一笑

 臨終正念と聞えけり。翌年の秋、翁も越の白根をはるかにへて、丿松(べつしよう)が家に其余哀をとふらひ申されけるよし。

塚もうごけ我泣ク声は秋の風
   翁



一、閑見
 更る夜の人をしづめてみる月に

   おもふくまなる松風のこゑ

名月や畳の上に枩の影
   角

難問、「「花影乗月上欄干」、此句に思ひ合する時は、畳の上の松影、春秋分明ならず、夏の夜の涼しき躰にもかよふべきか」。答、「春の月なるゆへ(ゑ)、花、欄干に上」とは云り。



   
   於大津義仲菴

三井寺の門たゝかばやけふの月
   翁

 其夜を思ひ合侍るにも、名月に対して、月をみるおもひ出もなく、我々の口質(グセ)に切字を入て、参会を紛らかし侍るも本意なし」。



戸塚

稲塚のとつかにつゞく田守哉
   其角

藤沢

宿とりて東をとふや暮の月
   其角

うぐひすに罷出たよ蟇(ひきがえる)
   其角

   洒落堂頽破

五月雨や色紙へぎたる壁の跡
   翁

洒落堂は落柿舎の誤り。

葛の葉のおもて也けりけさの霜
   翁

   笠重呉天雪

我雪とおもへばかろし笠の上
   其角

 千鳥はなれて沖中の釣
   枳風

   世中をいとふまでこそかたからめ

小傾城行てなぶらん年の暮
   其角



「諷(うたひ)は俳諧の『源氏』なり」と、これを一向の格意として、凡百番のうちにて、目にたつ詞、耳近き雲に起ふす頭巾(ときん)もあり、かやうに言を工みにし、自句・他句のわきまへもなくものせしかば、いつその程に自他ともにめづらしからず、所為(ヲモヒナシ)て、十とせあまり此かた誰となくいひやみけるを、風躰のうつりかはるにまかせて、只おほかたに思ひくれける折ふし、江口の里にて、

やどれとは御身いか成人時雨
   梅翁

と云句を承りて、其実を捨ざる所、肌骨に入(しみ)て侍れども、ふたゝび取附べき詞なかつ(り)し所に、大津にて、

雪の日や舩頭どのの顔の色
   其角

と申ける次の年の春、

花の陰うたひに似たる旅寐哉
   芭蕉

と聞えけり然らば章なくと誹諧の諷(うた)はれぬべきことを、と思立て、

   憶芭蕉翁

月華や洛陽の寺社残なく
   其角



 丁卯のとし

一、芭蕉菴の月みんとて、舟催(ふなもよひ)して参りたれば、

名月や池をめぐつて夜もすがら
   翁

「丁卯のとし」は貞享4年。貞享3年の誤り。

 すゝめて舩にさそひ出しに、清影をあらそふ客の舟、大橋に圻(わか)れてさは(わ)ぎければ、淋しき方に漕廻して、各句作をうかゞひけるに、仙化が従者(ズサ)、舳のかたに酒あたゝめて有ながら、

名月は汐にながるゝ小舟哉
   吼雲

 翁をはじめ、我々も、かつ感ジ、かつ耻て、九ツを聞て帰りにけり。「羽化登仙」の二字仙化に有とて、雲に吼けんの心をとり、連衆みな半四郎とは云ざりけり。その後も秀句多し。

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