田川鳳郎

『続となみやま』


天保11年(1840年)、田川鳳郎は信州から越後へ旅をする。

追分宿本陣門(裏門)


二十二日。折々雨そぼツ。下山して名さへ深山路めきたる漆菅、初鳥屋などいふせゝなき里を過て中山道追分の駅に出たり。しるべして本陣何がしが家に止り、廿三日ハ葛古を訪ふ。兼てしも契りおきし事のあれば又なく歓び、何くれといとねもごろにす。将、家号を水篶屋と呼ぶ。是に辞有む事を需む。不取敢しるし予ふ。

廿五日。帰路浅間根に添ふて追分へ出。此筋ハ延喜の朝の古道とかや。浅間別当真楽寺に詣、院主出迎しばらく休息してかたらふ。追分巴屋の竹雪、予が通るを見て留て許さず。これは本陣の一族なれバ也。大雨ニ閉られ滞杖す。

廿七日。草津竹烟がもとへうつる。風雨頻にして六月に入。五日といふに疾く立て渋峠にかゝる途中、

   浅間から湧はじめけり雲のミね

   切たのを置日蔭なしゆりの花

曽良ハ当地の産にして翁殊に憐ぶかく睦じかりけるが、翁しばらく滞杖有し比、発句に一篇の文を添残されたり。可惜(おしむべし)其家絶て、かの文のミ残れり。名づけて「雪丸げ」と呼び、此地の名物と成りて伝りけるハ世にしれる所也。

四日、夕方上諏訪若人へ移る。主人せちに饗じ、はた連衆各安否を訪ふ。滞杖屡六日の夜に成れり。

   もとすゑに古歌も有たし天の河



   六月や音にハ波もありそうみ



   苗とりて夜にはいく夜そ稲の露



   白瀧 谷村の西二十町斗り八日市といへる町はつれにあり
       蕉翁しはらく此地に遊んて句有り

   いきほひあり氷柱消てハ瀧津魚

其真蹟鳴屋何某か家に秘藏す予も是に倣て

   いきほひの稲妻消すや瀧の音


  テハ
わたし場に人吹ためるのわき哉
   稲州

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