早野巴人

『夜半亭発句帖』(雁宕編)


 宝暦5年(1755年)2月、『夜半亭発句帖』(雁宕・阿誰・大済編)刊。雁宕序。蕪村跋。

夜半亭巴人の十三回忌追福集。

 喋々たる諸子の笑談、いかんともせざる事あり。白眼にしてうちに和するものはいにしえ(へ)の隠士なり。さあるだに、云へば合ひ、黙すれば通る友、二三子に過ずとかや。早野氏なる巴人、老来宋阿と称す。叟ははやく宝永の始に名有けり。いでやそのころは才子星の如くに群をなしつるも、晋子雪中去て忽ち一変するは、馳駆せらるゝものゝ速かなる也。踏とゞまるもの雷堂と巴人のみなりしに、百里物故して独あぢきなくや有けむ、異郷の客となりて難波に遊び洛に停りて、むちむちと京にとゝせを降くらしたる独吟あり。道に於て信ありけるにや、『一夜松』の俳風に和して一片ならしむ、誠に呱ならずといふべき歟。宕、丙辰の春、西に遊ぶ事侍りてかの草庵を訪ひけるに、懐古おほかたならずして、約する事ありけることの葉のつゆをやかけられけん、翌乙巳のとしの初夏、花つみ ・加茂祭につけても、宮古の名残もかへり見がちにて、東都にいりて旧地を尋るに、老婆のかたくなことのみ残れりとて、つりがねのもとに蓬たかく荒たる屋のありけるにはひいりて、やがて夜半亭と名づけて、つきもるほどの穴もがなと、みとせよとせの春秋を詠めくらされしも、うつゝの夢のいたづら事となりて、ことしははや十三回と聞え給ひぬ。茲に宕、ためにはかりて追福せん事を思ふといへども、新曲を諷(うた)ふ事の得てなしがたきを知りてせず。阿誰・大済が其門に親しみ深かりけるに志を合せ、阿師の筐(きやう)中の物をわづかに捜得て帖となし、党情をしてながく祭らしめ、且古意を需る人の手にもふれなんものとおもふなるべし。丙戌六月正当日慕として鳴呼をわすれ、雁宕書。

  春 之 部

   はじめて京師に春を迎て

花咲樹ならびし中の青によろり

このうへに何か都の華の春

   其明るとしも京にて

舟に問へば古郷がよし花の春

日の光り一声花の明烏

鳥既に闇(くらがり)峠年たつや

   異郷に客たる事十余年、ことし漸
   く古郷に春を迎て。

あたらしき友の中にも花の春

 うちいづる浪や春のはつ花

  夏 之 部

   京より下る時

古郷をふたつ荷ふて袷かな

   元文二年四月十九日京都を発して、
   同三十日江戸に入る日記あり。お
   ほくの俳友泉路にかへる。十余年
   の変化、なみだとゞめ難し。

指を折る数にも入らんほとゝぎす

   祇空三回忌に

ほとゝぎす聞に出しが今に留主

   忍摺の石見むとてわけ入けるに、
   山崩れて石面を埋(うづ)み、草覆ひて虫
   の声狼藉たり。

しのばずに皃ふりあげよ蝸牛

   みちのくにくだりし時、桑折佐藤
   何某が許にて。

山伏の帯解すてゝ清水哉

  冬 之 部

   嵐雪七回忌

鏡立それも枯行高柳

   雪中庵卅三回

   俤の柳を見るや霜ぐもり



   懐旧之俳諧百韻

なに長き十三年を夏の夜
   雁宕

 カヤも動かず来ます夢人
   大済
(※「虫」+「厨」)
玉手箱あけて嬉しく反古にて
   阿誰

 嗽(すすぎ)の後に禁中の餅
   李井

幕のうちで烏帽子素袍の大茶の湯
   百万

 塀にとゞいて松を噛む馬
   雁宕



  懐 旧

   常談あり、頻に句を吐べし、汚た
   る中よりぞ清き姿を産べし、と。

師の共の泥臑(すね)洗ふ清水哉
   大済
   笙歌遙聞孤雲上

紫や江戸より西の雲のみね
   阿誰

   夜半亭主人十三回の遠忌とて、門
   人俳句を以せらる。予其頃は嬰児
   にして、を(お)ぼろげにもおぼえざり
   あいかども、此法筵につらなりはべり
   て。
  阿誰男
夢にだに花のむかしをスクモムシ
   浙江
(※「虫」*「曹」)
   夜半亭懐旧

めぐり来る空や蚊の声鐘の声
   渭北

往昔(そのかみ)を語り出すや唐扇
   湖十

   追 加
  
十年余三拝の日や明の蓮
   宗屋

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