横田柳几

『つくば紀行』


宝暦3年(1753年)、筑波山から水戸を経て鹿島へ行脚した紀行。

宝暦5年(1755年)、刊行。

軒端に花の笑ふ頃は布袋屋の夕暮も見まほしとかねていひかはしたれとあるしの鶉立に筑波山かけて鹿島詣てせらるゝと聞て

さまさまの花踏分て花の留守
   五竹



討ものは筆はかり也櫻狩
   布袋庵 柳几

是を矢立の初として騎西の町にかゝり栗橋の驛にいたる。利根川をわたれは下總の地也。

男躰山にいたりて頭をめくらせは士峯は坤(ひつじさる)にあたつて雲をつらぬき、鹿島か崎湖來の入江は巽(たつみ)に見下し手に取はかり。万山千峯一眼の内に盡たり。絶勝又いふへくもあらす。

    二峯法樂吟

   華さくや男山女山の諸しら髪

女体山頂からの眺望


一日境内をめくる。此神は武甕槌尊にして春日明神と一躰分身にましますよし。されはこそ宮ゐの俊を三笠山といふ。御手洗の靈泉・要石・末なし川・高間原その類ひ算るにいとまあらすと筆をさし置ぬ。とりわけ有難きものは

   陽炎は目にこそゆるけ要石

鹿島神宮の要石


御物忌の境内を過て麓に根本寺を尋ぬ。かの蕉翁月見の別院は北寺といふ。今は堂守の住荒して猶哀ふかし。

瑞甕山根本寺


息栖明神に詣。汀に女瓶男瓶のふたつあり。是を忍塩井といふ。潮みち來る時を清水わかれて瓶中にありと聞て、奇異のおもひをなす。

息栖神社


まつ飯沼の觀世音に詣。是も坂東の札所にて莊嚴美麗の大伽藍也。

   蓬植に來る日を海士も浮みけり

飯沼山圓福寺


君か濱に眞砂子を拾ひ初て、あしか島・めとか濱・佛吼か端・長崎・外川(とがわ)なといへる渚々をめくりて、眺望をほしいまゝにす。

外川漁港


又もとの利根川に竿さし戻す。送別の吟等爰にもらす。やうやうし初夜過る頃、香取明神の一の鳥居に船を寄せたり。民家に入て臥ぬ。

香取神宮の一の鳥居


夙におきて參詣す。神宮の後に杉の大木あり。まことに牛をかくすへきの樹也。

    樂 吟

   つはくらもめくり果さす神の杉

香取神宮の御神木


明れは滑川の觀音へと志して深田といふ所より歩行よりそする。爰の尊像は今朝か淵といふ所よりそのかみ地藏ほさつの衣手に救ひ上させ給ふと聞て、かの池邊を臨めは

   青柳や何すくふてもすくふても

滑川山龍正院


行徳よりふたゝひ舟に乘て兩國橋に著ぬ。ほと近けれはと松籟庵を訪ふ。あるし打咲て一椀の茶を投す。さめるもしらす漂泊のあらましを語るにつけて、越中の麻父我歸菴を鴻巣に待うけるよし聞侍る。すみやかに馬を踊らして布袋庵に歸ぬ。經回凡二百里に近くつゝかなき顔を北堂に謁す。

行徳の常夜燈


雁の往來に書を通してたかひに見ぬ戀の月日を送りしも、ことしや不二見のこゝろさししきりなるも布袋庵に入て杖を休めん心也。さるにあるしは鹿島立の跡なれは、既にあすはと離莚に望む宵のほと、神慮にも通しけるや歸館のよし告來れは、花に鳥にかきりなき心地そする。

   逢ふてこそ花よ言葉の要石
 丿ヘ庵
 麻父

    歸庵賀 待受られたる丿ヘ老人に對して

   おちこちの頭陀やとちから遅櫻

 柳几



    四季

   あし跡になまこのあそふ汐干かな
 伊勢
 菱浪
(ママ)
   梅はまた寒しと藪に初音哉
 尾張
 木兒

   朝顔や壁に取つく慾はなし
 ゝ
 白尼

   合點して土へはつかぬ柳かな
 ゝ
 野有

   柳とは見たれと明て柳かな
 大津
 雲裡

   尼寺や翡翠に恥る濯き物
 越中
 椅彦

   一さかり雲いそかしや歸り華
 加賀
 見風

   來る秋も落馬はあらし女郎花
 麥水

   はね明て乾かぬ苫や朧月
 幾曉

   野の蝶やつもらぬ物の降くらし
 江都
 鳥醉

   地をはしるものゝ巣になる落葉哉
 秋瓜

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