俳 人

工藤稲州

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最上稲沢の三九郎家五代。葎茶園。

稲州 一号 葎茶園 出羽最上稲沢 工藤三九郎

 ひと時雨過せし竹の光りかな 稲州


 文化4年(1807年)、伊勢参宮に出向く。途次、紀州高野山・紀三井寺、さらに播州須磨明石に遊ぶ。

 天保11年(1840年)6月10日、小林見外は稲州を訪れる。

 文化12年(1815年)10月13日、東都遊行に出立。途次、須賀川の雨考宅に泊まる。

 天保13年(1842年)10月24日、漆山の半沢二丘は稲州を訪れる。

 文化14年(1817年)4月16日、乙二は米沢・赤湯を経て慈恩寺宝蔵院住職淋山を訪ねる。稲州は慈恩寺を訪れる。

 文政7年(1824年)、獅子ケ口諏訪神社に句を奉納。

雉子鳴や樹々の眠りのさめる時

未申酉戌亥『我庵集』

 文政13年(1830年)7月19日、一具は二丘を伴い稲州を訪れる。

 天保4年(1833年)6月25日、一具は稲州を訪れる。

 天保6年(1835年)、米沢小出の太橘は稲州邸で俳筵を催す。

 天保12年(1841年)7月7日、翁の句碑を拝まんと立石寺に詣でる。帰路、漆山の半沢亭に立ち寄り3泊する。

 天保14年(1843年)、芭蕉百五十回忌に二条家では花本宗匠の田川鳳郎を名代とし、古川外風を催主として、追悼の俳諧を興行。稲州も名を連ねている。

 天保15年(1844年)、寒河江八幡宮に俳額を奉納。選者は工藤稲州。

 嘉永4年(1851年)6月18日、楊洲庵半湖には西馬の添書きを持参して来訪。

芭蕉の句碑を建立。


古池や蛙とひこむ水の音

安政2年(1855年)8月27日、70歳で没。

工藤三九郎家に稲州の句碑がある。


野のおくや奇麗に打てある畑

工藤藤兵衛建立。

稲州の句

四五日は古巣にとまる乙鳥哉

あとまはりしてたんとゝる茸哉


わたし場に人吹ためるのわき哉


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