一如庵遜阿
『東桜集 附録』
天保11年(1840年)、俳僧一如庵遜阿は羽州の俳人を訪ねて各地を巡遊する。 嘉永4年(1851年)頃、遜阿が板谷峠を越えて羽州に入り、象潟を経て大館までの紀行。「自他紀行」 嘉永5年(1852年)10月、為誰庵由誓跋。 |
東桜集附録 一名自他紀行
陸奥桑折里 釈遜阿編 |
出羽國 続紀曰、和銅五年分陸奥国置出羽国 |
往ぬる庚子の臘月末の日、絶頂より腰立ずなりしが、またこたびも足萎て宿老佐藤氏の厚慮にあづかり、力士(モリ)をやとひ横背に負れつゝ峠にかゝる、おりから雨いたく降出ければ |
背おはるゝ吾も五月の涙かな |
姥温泉浴中 在峠ノ西三里余、文治年中草創とかや |
明のこる温泉樋のうへや夏の月 |
庚子初冬桧原峠 伊達あしな古戦場 の難嶮雪中をしのぎ、米澤の地に入し日は |
旅にさへ嬉しき日あり冬の蠅 |
菩提山極楽寺林泉 蒲生家遺跡、古檀林名越派 |
朝風の水にそよぐや若楓 | フ山 |
石木戸薬師仏は、死病臨終の期を誓ひたまふとかや。まづ、笹野の霊場にのぼりて祖翁花の雲の碑 高サ八尺余、フ山社建之 を感閲す |
花と降木の間や雪の大悲閣 |
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紫の雲の中なるさくらかな | フ山 |
二妙庵芭蕉忌 庵主姓高橋、又号梅窓、同年八月一具叟止杖之日、有二妙興立記 |
この道やもるゝかたなき初しぐれ |
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亭主 |
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伊賀のむかしを忍ばるゝ冬 | フ山 |
蕉圃亭興行 城北三里許、西大塚村豪農姓高橋氏、松窓門之嚢錐、無門之維摩也 |
亭主 |
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秋もやゝ寝あまるころや窓の月 | 古翠 |
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落る熟柿の耳にさびしき | 一具 |
阿姑射(ママ)松 在山形城東千歳山万松寺后山、姫者豊成卿息女中将之妹ト云々 法名 珠竜光明法女 慶雲四二月十七日卒 辞世 |
消えし世の跡とふ松の末かけて名のみは千々の秋の月かげ |
又傍に実方碑有、藤中将姫も父を慕ひ此処に終る、墳は其記念となん |
眉掃碑 在山形城北漆山半沢氏、桃皐二丘建之、近歳秋元侯陣営移此所、風月盛繁也 |
寒河江八幡宮 國主大江廣元公鎌倉より奉遷、四百余歳の古社也 |
露白う神さひけらし杉の奥 |
立石寺 羽中之勝景、世謂之山寺、七月七日大祭、夜念仏、獅子踊興行、開山慈覚大師之化教云 碑云 しづけさや岩にしみ入るせみの声 芭蕉翁 |
途中に一宿して 古口の水駅に便船を求む |
笠とほす水無月照や舩の中 |
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武蔵 |
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春なつの花吹入るやもがみ川 | 等載 |
白糸の滝 |
武蔵 |
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誰が曝す布ぞ新樹の梢より | 抱儀 |
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夏引の糸さらしたり竜田姫 |
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しら糸の滝もしぶくや五月闇 | 二丘 |
清川岸に船はつる頃 酒田陸程六里余松山城其在中路 |
羽黒宝前 古記曰、草創推古帝勅宣、寂光八大寺建立寄附、五重塔鶴岡城前主造立也 |
あなうれしあふ凉し手に掬ふ草 |
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日の夏も木がくれけらし羽黒山 |
羽黒山 稲倉魂神本地観世音は、むかし能除大師 崇峻天皇第三皇子天童の告によりて当山に至り権身修行す、特に心経を信じ、能除一切苦の文常誦し、月山・湯殿山の三山五十四里を日夜飛揚苦行有し故に、人呼て能除仙と云、是を懸越しの九里といふ 此山に蹊(ミチツク)る時、烏これを導しゆへに羽黒山と名づくと云々 |
すゞしさやほの三日月の羽黒山 三山碑 雲のみねいくつ崩れて月の山 芭蕉 かたられぬ湯殿にぬらす袂かな |
実に三山の高詠は今古を貫くの金言にして、誰か此上にやはあるべき、殊に山中の記、象潟にいたるの憤英雅□はさらに感動せられて、悲喜の袂を湿すのみ、さりとてや、むげに黄觜を等閑んも又ほゐなきわざなりけり |
鼠ヶ関 越後・出羽界 |
酒田湊日和山 祇宗紀行に此湊の西浜を袖の浦とす、細道に此挙なし、其本拠なきにや |
のどかさのあまりを寒し日和山 | 等載 |
西上人は花の上漕ぐの詠をとゞめ、ばせを翁は西施がねぶの吟を残されたる絶勝も、今はひたすらの田畝となりて、見るかげだになきあはれさ、されば赤土蒼海の世のありさまはさる事ながら、ふりはへたる此行いと本意なき心地せられて |
きさかたやその俤をいねの浪 | 如風 |
大館浄応寺桜 随斎四山稿にも此桜希代の大樹と云々 |
その庭も見て来し顔の燕かな |
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手を合すばかりや院の老さくら | 雨隣 |
大館は津軽口の要路にして、奥羽の分彊碇が関の六里こなたに在。浄応寺林泉は封内の佳境といふ。ことに老職無等上人、齡は旬にあまり、健勤壮栄にして、書道点茶の虚名、懸月詩会茶莚の集ひを促すに、よりよりは玉駕をも狂せらるゝの沙汰聞え侍る。実にめでたき寿翁勝境にこそ |