常世田長翠ゆかりの地



〜浄徳寺〜

酒田市中央東町に浄徳寺という寺がある。


浄徳寺


浄土宗の寺である。

加舎白雄の門人河道は浄徳寺十七世俊栄和尚。残露庵。

 享和2年(1802年)、常世田長翠は小蓑庵を中村碓嶺に譲り、浄徳寺門前に胡床庵を営み酒田に居住。

文化10年(1813年)8月12日、長翠没。

文化14年(1817年)5月5日、松窓乙二は浄徳寺に墓参。

長翠佛苗五寸を見て。白川を越しより。予が庵を出羽のゆきゝの中やどりとして莎鷄の聲に草鞋をとき。はじめていく度といふもしられず。あるは松島の初日を詠葛のまつ原に櫻さくかたを枕と。覺英僧都を想像し。忍ぶ山には秋の日の暮ても。くれぬその願をしのびしも。今は昔のかたみぐさと成ぬ。予もさいつとしはこだてに病て。身は老命は露ながら。いまだ歩行神のはなれず。この塚に來て涙をこぼすは。獨りにしまぬ葉の上に向あはするも。遠からずとおもへば。

松ぞ散るひとり言いふ膝のうへ


「莎鷄(ぎす)」は、きりぎりす。

 天保4年(1833年)、碓嶺は浄徳寺で墓参をしているようである。『をばながさ』

本堂の左手前に常世田長翠の墓碑があった。


天保8年(1837年)8月、造立。

没後24年に造立されたものである。

長翠は丸山派の絵をよくし、椿梅と号した。

酒田市立資料館に常世田長翠筆、松窓乙二賛の山水俳画が残されている。

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