佐藤馬耳

俳諧田植塚 乾』


享保4年(1719年)5月12日、佐藤馬耳田植塚建立した記念撰集。

田植塚


享保4年(1719年)5月12日、刊行。自序。

田植塚記

ミちのく伊達桑折の里、朝日山法圓寺の田植塚は、はせを一とせ奥羽の抖薮に、風流のはしめや奥の田うへ歌と事捨給ひし真跡を土中に埋んて、霊魂を祀る也けり、於呼馬耳子ハ丸額のむかしより風雅を好ミ、やゝふて付合の味をしるに随て、故翁の正風をしたひ、今の流行におくれす、そこらの僧俗を駈立て、月々の興行をすゝめ、花紅葉の衾にふれては、一句の手向草に、誹永く諧久しき事を祈る、 さるは昌黎か作りて其功徳を仰くの類ひにひとしきか、今年野僧か再遊の杖をとらへて、供養の法席をひらき、これか記を乞ふ、其金鉄の厚心辞するに道なし、後の連衆も耳子か信を続て、誹諧の邪路におちいらすんは、今日碑を建るの志にそ無かしと、おつおつ筆を取て其大概を記すものならし

 享保四亥五月十二日 雲水無外坊燕説謹誌

 
 五月十二日導師を請し朝日山に
 おゐて供養をいとなむおのおの碑前に
 合爪して風雅安楽の華を捧け奉る

とふらひによれ芍薬の羅漢達
 馬耳

青すたれ捲や法事の休ミ所
 如風

水や空まします星の凉しさよ
 白英

初午や温石捨ん恋ころも
   岩城 露沾

御意見にあやまり入て蛙哉
   伊勢 燕説

傘の雫も軽し春の雪
   大津 正秀

味淡し牡丹になりて小盃
   亡人 不碩

楫音をしつめて風の幟かな
   須賀川 晋流

女郎花例の旅寐やかゝ見山
   大坂 野坡

八朔や世は焼米の華さかり
   伊勢 燕説

名月の敷寐や玉の拭ひ椽
   岩城 由之

平蔵か歌の名残やかえり花
   江戸 桃鄰

冬枯や山葵おろしの裏おもて
   須賀川 晋流

紙子着て我も押れん奥の市
   桑折 馬耳

空焼の京を目下に紙子夜着
 月空居土

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