向井去来

『誰身の秋』(久米元察・吾仲編)


宝永元年(1704年)9月10日、去来没。

宝永2年(1705年)、『誰身の秋』(久米元察・吾仲編)刊。

 久米元察は去来の母の弟久米諸左衛門利品(升顕)の長子。去来の従弟である。

 渡辺吾仲は中村史邦学び、落柿舎で芭蕉に謁す。その後、河野李由各務支考に学ぶ。号は柳後園。

 誰身の秋

   牌 前

嵯峨田夫
野送りの跡をなげくや女郎花
   為有

枯残す言葉の花や塚の菊
   利品

   去来丈追善の集編せらるゝのよし、伝
   へ聞侍りて、風雅のゆかりなれば、此
   句をあつめて牌前に備ふ。元察子執達
   し給へ。
  山口
枯にけり芭蕉を学ぶ葉広草
   素堂

   筑紫に旅立んとて用の事あり。文つか
   はしける日、かくと使のものゝ帰りた
   るに驚きて、

何と申きのふの菊をけさの霜
   凉菟

一片の雲に名残や西の月
   泥足

   その事此ことおもひ出るかぎりはなか
   りけるが、過つる名月の夜は病の床に
   有ながら、とかくのもの語りもなし給
   ひぬるに、今はかゝるなげきとなりて、
   うき世の月をかこつばかり悲しかりけ
   る。
 可南尼
ふして見し面影かへせ後の月
   貞松
  
さや豆を手向て悲し後の月
   とみ

   正月の二日墓まいりして、
  
雪汁に裾をそめけり墓の前
   たみ

   訃 音

志賀越や都の秋を啼鴉
   李由

丈草は枯て去来は時雨かな
   許六

   この句に終焉ノ誄あり、今爰に略す。
  ミノ
菊の綿かいなく冷し枕かな
   木因
  備中
ひざまづく袖の雫や草の露
   除風
  ミノ
人を人にかへてほしさよ露しぐれ
   魯九

   病中の文通に存命さぶらはゞなど聞え
   ながら、つねざまのおもひやり侍るも、
   今はよしなきかたみとぞなりける。
  カゞ
是非ともにあはで悲しや秋の風
   北枝

   尾城文通

なき人のこゝろを爰にちる柳
   露川

しづかなる所けなりや秋の暮
   素覧

   病床几右

鶯も筋目はづかし奈良生立(そだち)
   諷竹

鈴むしよそれはことしの鈴の音か
    同

   病 後

痩骨の鹿にもまけぬ寐起かな
   浪化
  三河
はまぐりや蚫(あはび)うらやむ窓の月
   桃先
  
後手に出来も与作が門田かな
   白雪

   この門田を秋といふ人もあるげに候へ
   ども、われらは青田にていたし候。

藤の花地にたゞおけば死人かな
    同

稲妻や寐つかぬ森の鷺からす
   北枝

   此たびは、ふと凉菟に出合候て、深草
   ・くらま・きぶねあたり、洛外大かた
   見ありき候へども、例の酒がちにわら
   ひくらし申候。

秋のあはれおくれはとらじしゝが谷
    同

そば切に出る燭台や野分過
   秋之坊

宝引や見こし入道ろくろ首
   従吾

摂待に清十郎でやないか絹羽織
   牧童
  山中
白梅や餅にも人のすき嫌ひ
   桃妖
  越前
船頭の顔をつくづく夕すゞみ
   韋吹

   丈草
  備中
秋深き松の雫や袖の下
   除風
  サヌキ
富士といふ声に落るや笠の雪
   寸木
  豊後
桑の実の昼も過けりほとゝぎす
   野紅

はな紙に琴の爪をく清水哉
    同
  豊後
水長く里のたゝゆる桜かな
   倫女
  
人先に手も出しにくし初ざくら
   朱拙

傘に晴てあらしやわたり鳥   卯七

何ぞ葉のあらふあらふと枯野かな   木因

餅花もちるやこれからおぼろ月   露川

淋しさうで又さうもなしおぼろ月   杉風

すゝはきや隣のかゝをそこな者   猿雖

   舟中吟

盃を帆にも笠にも時雨かな   雲鈴

名月や念仏講とうら合せ   許六

欄干にのぼるや菊の影法師    同

   仰にまかせ此ほどの句ども書つけ申候。
   御病床御なぐさめ斗の事に候。

初秋の音や藪からしのぶ恋   吾仲

鼻すゝるこれのむす子のよさむかな   吾仲

   御病気いか様とも不承候。此ころ大
   垣にて、

茶筅にてちよつちよつ是は秋時雨   支考

   ある人の閑居にて、

啄木もしまふて行けば又淋し    同

ちるをさへおしむに折な桜花   為有

向井去来に戻る