白兎園宗瑞



『旅の日数』(宗瑞著)

 寛保元年(1741年)4月、白兎園宗瑞が従兄岑水を誘って日光東照宮に参拝の後、常総を巡歴した紀行文。

 寛保元年(1741年)10月、『旅の日数』(宗瑞著)刊。

寛く保らかに改れる年卯の花咲ける月のなかは従弟白兎園にいさなはれ下野の国日の光る御山へ詣てまからんとともに身かろき旅もよろし〇旅の連こゝろも袷ひとつ哉 其道六々の里程なるを空もこゝろよく晴て越谷の茶店に昼いこひし其日は栗橋の宿に泊りをもとめ次の日もなを駒いそきしつゝ野木の社花の宮なんと過かてにふし拝み入相をうつの宮の屋とりに聞ぬ明の日ははや街道をはなれて左りへ七八里かほと蹄あかりの道を登るともなく行々てかの御山の華蔵院といへるよしみ侍りて此院にわらんつを解き侍る明れは十七日旭かゝやきて 東照宮の御祭礼威儀厳重なるを拝し奉り後院主の案内にて御社の内を拝み廻れは誠に聞及しに弥増り楼門宮殿の粧ひ金をちりはめ玉をみかきて善尽し美つくしていかてことの葉に及侍らんやおもふに 神君の徳光今かく世に輝き侍るらめと折から豊年の麦秋をうたふ

朝日影ふもとへさして麦の色
   岑水

下野の花の宮居や絵筆にも
   宗瑞

院主の饗しまめやかに此続きの名たゝる山めくりしたまへと案内の僧をともなひ先沢にくたれは山水けはしくうつまける岸のむかひの巖に弘法の筆擲たまひしとて憾マン(※「牟」+「含」)の梵字かすかに見えてこなたの岩に護摩の石床とて残り侍る

護摩の坐やいはほ涼しく水煙
   岑水

それより滝の尾寂光うら見華厳の滝なと見めくりてすくに中禅寺に参りぬ

そこも滝爰にも落てほとゝきす
   宗瑞

筑波は嶮山にして照れる日は暑に苦しむけふは曇りて幸ひよしと汗かきの東休にすゝめられていさとおもひ立二三子打つれ椎の尾山より登るに馬はもとより駕さへ及はぬ山道なれは歩行よりそ行

男体山 女体山 天の浮橋 天のさかほこ 稲村権現 ひたいずり 木の根坂 鳥居石 胎内くゝり 日本一目 鏡石 みなの川

二峰を拝みめくりて下向の道すがら今朝の曇りはたして大雨に逢辛うして大御堂の前なる泊屋につく

夏山の雲も分るや陰日なた
   宗瑞

旅の日数もあなたこなたにつもり暑さも日増になれは石下を立て其日布施の弁天にまふて此村に泊り翌日江都に帰着

神祖の御祭礼を拝して目を驚かしそれより筑波男体女体の峰にのほつて見ぬ双剣をおもひやり肝つふしたるなとかれ是の事を白兎園に待まうけし聞侍りて

山々の噺は高しほとゝきす
  鳥酔

今ほと蚊やりそこの庭石
   宗瑞

紀行の小集成て几右を見れは江戸連中より折にふれて聞置又は申送らるゝ発句一嚢あり幸とひろひよせて後宴となす

      四季混雑

麦まきや風の小楯の一里塚
   瑞石

町並に寺は隠れてしくれ哉
   雪才

雲に消麦にきえたる雲雀哉
   柳緑

浪の華ちりしまふたる氷かな
   宗瑞

いま行う行うとて巨燵かな
   柳緑

名月や百日紅を照返し
   宗瑞

寛保元酉初冬

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