小林一茶



『菫草』

文化7年(1810年)、板行。

 長沼の門人春甫が芭蕉の句「山路来て何やら床し菫草」に因んで自庵を菫庵と号した記念集。



 文化6年(1809年)8月の夏目成美の序文。文化7年(1810年)初夏の柳荘の跋。

 画をしるものは、風雅におもひで多し。小坊主の鞍つほにのれるを見て、はやくその趣をさとり、染緒むすびし草鞋を馬のはなむけせるなど、みな画中のおもむきより出て、蕉翁も掌をうちてよろこび申されけるとぞ。

 「小坊主の鞍つほにのれる」は芭蕉の句「鞍壷に小坊主乗るや大根引」、「染緒むすびし草鞋を馬のはなむけせる」は「あやめ草足に結ん草鞋の緒」による。

芭蕉の句を立句にした脇句歌仙。

山路来て何やら床し菫草
   翁

 雀が春も三日立けり
   春甫

陽炎に樫(かしのき)ばしらの穴明て
   掬斗

 一番船のいま着しこゑ
   呂芳

(からかさ)のひろがるやうな月影に
   松宇

 ぱちりぱちりともゆる豆殻
   素鏡



   其 引

  江戸
梨子柿もあのき木になるか冬の月
   成美

箒木も育とまるや盆用意
   みち彦

涼むなりかねつき坊が青むしろ
   巣兆

山茶花に皃(只)かりそめの朝日哉
   春蟻

   長崎にて

我宿の柳に似たる柳かも
   はまも

淋しさの扇であふぐ糸瓜哉
   浙江

吹れ来て鐘に入りけり秋のてふ
   完来
  
長き夜や膝に持るゝ鼻ばしら山
   瓦全

なく鹿の奈良にはしたり朝の山
   空阿

蚊屋を出て遊ぶ所も八重葎
   寄淵
   (奇)
物問に来易き門の柳かな
   八千坊

奥山や戸の明たてに露がふる
   三津人

  ミチノク
ひだるさに馴しさくらの山路哉
   一草

へなたりをへなへなと吹柳かな
   乙二

箕むしの心ゆかしや梅の花
   恒丸

太閤の御耳かすれ杜鵑
   冥々

鶯の呑やしつらん硯みづ
   曰人

人更に幽なり山沓直鳥
   平角
  出羽
近付の夜にこそしたれ初蛙
   野松
  三州
さゞ波や華に宿かる七所
   卓池

  ヲハリ
陽炎を淋しき物としらざりし
   士朗

華青葉人の三月四月かな
   樗堂
  甲州
朝露やこぼれた儘におとなしき
   嵐外

露はらはらきのふの雲の今かへる
   月船

大かたの祭も過し案山子哉
   一白

  水戸
水を見ても笑が如し春の月
   遲月

  房州
喰ふ(う)て寝る身にさへ春と思ふ哉
   杉長

なけなしの梅をさいさい霰哉
   児石

  ムサシ
きりの実が何かもふ(まう)すぞ春の風
   菜英

紅梅はおふ(ほ)太刀をさす若衆哉
   荘丹

  サガミ
いなづまのなければなくて静也
   葛三

  上毛
御飾もとらぬうちから猫の恋
   鷺白

   九月十三日夜快晴、寿福山にあそぶ

月さらにおもふ隈なし十三夜
   柳荘

梅の木に見違はなし朧月
   反古

三尺の山も霞の夕かな
   文路

蕣や花のとまりを若葉して
   素檗

あき風の吹込みくらき箱根山
   蕉雨

植かへし竹より秋の夕かな
   雲帯

燕子花さくや世間はひとへ物
   何丸

梅の月鬼追ふ(う)てよりいくつ寝し
   武曰

行はるや今日迄のふばたらき
   虎杖

  高井ノ
うまの子の無事な顔なる柳哉
   春耕

初雁や大津泊りの昔し椀
   希杖

  ケノ
五月雨やひたと匂ふは何の花
   可候

   庵前即興

夕鴫の二たび戻ル庵りかな
   呂芳

箒の伏屋と申あきの雨
   魚淵

   ひきむすぶ草の庵りを菫と号られけるは、計
   るに主人其性和にして人に睦み、すみつれ給
   へる名なるべし。嬉戯たのしからんと、予も
   一句を添るものならし。

けふの秋どことらまへて酒呑ん
   松宇

(あしぶえ)に人をあつむる新茶かな
   呂芳

最後に一茶と春甫の句が並んでいる。

 久しく願ひけるに、北国日和定めなくて、おもひはたさざるに、今年文化六年八月十五日、同行二人姨捨山に登る事を得たり。

北国日和定めなくて」は芭蕉の句「名月や北国日和定なき」による。

けふといふ今日名月の御側かな
   一茶

けふの月ひろふ(う)たやうに思はるゝ
   春甫

安政5年(1858年)8月、春甫は87歳で没。

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