三森幹雄


大教正三森幹雄顕彰碑

 石川町双里白坂下に「大教正三森幹雄顕彰碑」があるというので、訪ねてみた。


 石川町双里白坂下の県道14号白河石川線(御斎所街道)沿いに「白坂下の桜」がある。

 源義家が奥州征伐の折、記念に植えた桜が枯死した後にその名跡を継ぐために植えたという。

「白坂下の桜」の木の下に「大教正三森幹雄顕彰碑」があった。



今日磐 波耶 山耳 加布佐累 桜閉那

(きょうははや やまにかぶさる さくらかな)

大正7年(1918年)4月、建立。

三森幹雄

 石川町形見出身の俳人

 26歳の時江戸に上り、惺庵西馬に入門して俳諧を学ぶ。そして春秋庵をついで芭蕉翁. 第九世の伝統を受けた。この時静波から幹雄と号をあらためている。31歳で京橋丸太新道に庵を結び、潜窓と号して俳人として世に出た。別号に不去庵、香楠居、桐子園、春秋庵、天寿老人などあり、また三木雄とも名乗った。著書は多く、『玉川紀行』『再遊記』『俳諧自在法』『俳諧名誉談』などがあり、『俳諧明倫雑誌』を没するまで30年にわたって刊行した。

 石川町双里に句碑がある。俳画もよくし、好んで亀を描き、天覧に浴したことがあるという。明治時代の旧派を代表する俳人であった。

   ひややかな水踏あてぬ草紅葉

   窓一つ持ても月のあるじかな

   時雨にも玉巻そむる芭蕉かな

   今日ははや山にかぶさる桜かな

   春秋の草木に習う翁かな

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