白雄の句碑
人恋し火とぼしころを桜ちる
安永元年(1772年)春、加舎白雄が吉野に花見した折の作「もの恋し灯ともしころをちる桜」を後日改案したものだそうだ。 白雄(1738〜1791)は本名を加舎吉春といい、与謝蕪村とならび称される天明時代の俳人である。元文3年、上田藩士の次男として江戸深川に生まれ、鳥酔、烏明に俳諧を学んで蕉風俳諧の復興、定着に生涯をかけた。上田は白雄のふるさとであるばかりでなく、俳人としての出発をこの地で飾り、広く信州の庶民文化を啓発した。ここに自筆による代表作を刻し、永くその遺徳、功績を後世に伝えるものである。
平成2年10月吉日 加舎白雄顕彰保存会
鳥酔は白井鳥酔。元禄14年(1701年)上総国埴生(はぶ)郡に生まれる。烏明の師。烏明は松露庵烏明。 |
加舎白雄の句碑の脇に「四季のうたメロディー装置」があって、上田グローリア合唱団の演奏した四句が順次流れるそうだ。 |
春 ひと恋し火とぼしころを桜ちる |
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夏 さうぶ湯やさうぶ寄くる乳(ち)のあたり |
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秋 名月や眼(まなこ)ふさげば海と山 |
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冬 捨てられぬものはこころよ冬籠 |
「人恋し火とぼしころを桜ちる」は加舎白雄の代表作で、東京都墨田区の白鬚神社にも句碑がある。 「さうぶ湯やさうぶ寄くる乳(ち)のあたり」は、安永3年(1774年)上田滞在中に詠んだ句。この時加舎白雄は別所北向観音堂に芭蕉句碑を建てている。 上田城跡公園入口から二の丸通りを行くと、「加舎白雄ゆかりの加舎家跡」がある。 |