小林一茶



『志多良』

 文化10年(1813年)の発句・連句・随筆文などを書き記したもの。柏原に届いた知友の句を載せる。

 文化五年祖母三十三回忌墓参りの時になんありける。弟かたより古衾おこしたりけるに、しばらくして又武さし野にさすらへけり。其迹にて其衾いたく垢つきたれば、二倉なるゆかりの所にて洗ひ得させんとて、ばらばらにほどきけるに、こはいかに、中に入たるは綿にはあらで、襁褓(むつき)の果、あるは古雑巾などの荒布(あらめ)のやうに黒くしぼしたるものにぞありける。かくては縫ひたらんとも暖きたしにはならじと、其まゝ箱におし込置たりけるを、ことし霜月廿四父十三回忌といふに、はるばる古郷に来たりけるに、仁倉の人、しかじかのもの也とてかたられき(し)を、よくよく見れば、いかにも申さるゝ通り、都の乞食衆は爪はじきして嫌ふべき品也けり。 今も又あやにくに玄冬素雪の折から来合せ、しかのみならずしかとしたるやどりといふもあらねば、必しもかゝる太雪(みゆき)に埋れ果なん。 されど鉄臼が霊となりて鉄杵をとり殺さんも今さら古めかしく、とやせんかくやせんとさまよひけるを、情ある里人、家の小隅かしてとらせんとあるに、地獄にて仏見たらんやうにうれしく、師走の廿四といふにそこにうつりて、可候よりめぐみたる鳥の毛蒲団をかぶつて大寒を凌ぎ、春甫に貰(もらう)たる紙張を引張て裂(烈)風を防ぎつゝ、人々のかげにて漸(やうやう)酉の春にはなしぬ。

人並の正月もせぬしだら哉
   一茶

世の中の梅よ柳よ人は春

文化十年正月一日
   信濃国柏原 一茶認

   四日節分

かくれ家や歯のない福(口)で福は内
   一茶

   板 橋

かしましや江戸見た雁の帰り様
   ゝ

浅草の不二を踏へてなく蛙
   ゝ

大凧や上げ捨てある亦打山
   ゝ

   善光寺

雀子も朝開帳に参りけり

木母寺の花を敷寝の蛙哉

   題 吉原

目の毒としらぬうちこそ桜哉

春風や鼠のなめる角田川
   一茶

   二月十八日出 三月一日來
   成美

夢の世となぐられもせずすゝ払
   ゝ

   人 日

妹が子は薺うつ程成にけり
   ゝ

雀子も足を引ずる涅槃哉
   ゝ

  翠兄 改
古雛に胡粉の過し余寒哉
   道隣

叔(淑)人のよき中に似し春の風
   道彦

菜の花や染て見たいは富士の山
   巣兆

かまくらやばくちの銭もかげろひて
   久藏

鶯の口もとにさす旭かな
   春蟻

軒下や吹寄貝もんめの花
   素玩

   去三月四日出 同日来
   樗堂

出たければ出る世が出来て梅の花   ゝ

山吹もはや今出たりかたつぶり
   ゝ

思ひ出して俄に春の名残り哉
   ゝ

   高い山から谷そこ見れば

春の風おまんが布のなりに吹
   一茶

   三月一日出 すりもの二葉入
   廿九日來

小座頭や花の日なたに寝てあそぶ
   成美

年よれば度をうしなふや花盛り
   ゝ

 一、丁卯のとし、芭蕉庵の月みんとて、舟催(ふなもよひ)して参りたれば、

名月や池をめぐつて夜もすがら
   翁

 すゝめて船にさそひ出しに、清影をあらそふ客の舟、大橋に圻(わか)れてさは(わ)ぎければ、淋しき方に漕廻して、各句作をうかゞひけるに、仙化が従者(ズサ)、舳のかたに酒[あたゝ]めて有りながら、

志だら 三

蚤蠅にあなどられつゝけふも暮ぬ
   一茶

 涼しく見ゆる庭の草花
   文路

水風呂の桶の際より月出て
   反古



   七夕 病中

うつくしやせ(しや)うじの穴の天の川
   一茶

   柏原の草庵の荒なんことを思やりて

おとなしく留主をしてい(ゐ)ろ蛬(きりぎりす)
   一茶

   小丸山の塚も思ふばかり也

うら盆の御墓の方を枕哉
   ゝ

   七月二日 文通
 ノジリ
秋風の出所見たか親烏
   関之

      七月廿八日 文通

白露や名なし草まであつぱれな
   魚淵
 下フサ
手に持や辻の仏も梅の花
   鶴老
 アハ
ひとり打畠の上や二王門
   杉長
 ヒタチ
小窓から顔の見ゆるも春めきぬ
   道隣
 白石
松画(かい)てしらぬふりして桐火桶
   乙二
 羽州
花恋て我も寄居虫(がうな)のやどり哉
   長翠

しなのにて不二を見にけりけさの秋
   葛三

立待や空を見くだすしなの山
   対竹
 下フサ
蓬から虹のまたがる夏野哉
   素迪

螢見やりつ合わろき夜の笠
   雨塘
  古人
けさの雪竹の臥所も見廻たし
   柳荘

 げにげに此書に明かせる通りなりし物を、前にかゝる事夢にもしらば、はからふべき術あるべかりしを、医師(くすし)ならぬ身のつたなさは、たゞそれなりにうち捨おける物から、病は思ひのまゝにはびこりて、つひに癰にせいせられて、長[の]月日をくるしみにおくりぬ。

名月や寝ながらお(を)がむ体たらく
   一茶

あの月をとつてくれろと泣子哉
   ゝ

 柳荘といへる叟は、又なく俳諧といふを好みて、普(あまね)く人にもしられて、おのれもよそよそしき交(まじはり)ならざりしが、ふと無常の風に吹とばされてより、三とせばかりも過ぬ。其子今井磯右衛門と成りて、おほやけの政(まつりごと)正しく、松柏の末たのもしく、親の役うけつぎてつとめければ、獅子の威風漂々として、誰ありて歯の立者もなく、此地のきりものなりしが、庁の礎もや踏はづしけん、ことし八月廿九日といふに、代官職けづられて、たゞ人とぞなり下りぬ。あはれ、きのふはとぶ鳥おそれておちしいきほひも、けふは追鳥あなどりて逃ぬおとろへとはなりし。一盛一衰、是春秋のならひ、おどろくはおろかなれど、虎嘯きて風起りしも見たりし物から、俄に鼠のあなう世中のありさま、いたはしくぞ覚へ(え)侍る。

   鴫立や門の家鴨も貰ひ鳴

   八月廿七日認 九月十四日来 書通
   成美

うつくしや世にたとへたる草の露
   ゝ

名月や葎の蝶は舞も出ず
   ゝ

   八月廿一日出 同日来

鵙の声いつ迄空の高くなる
   素玩

   十一月三認
   閏十一月二日長沼ヨリ来
   『蝉塚』一冊入

椎の木の時雨にまけて朝寝坊
   白老

枯芦や神は上らせ給ふ空
   ゝ

   閏十一月廿六日出
   十二月廿四日 とゞく

みそさゞい身をかくすなら吉野椀
   成美

唐崎の松も見ゆるや大根引
   ゝ

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