川鍋千杏・魚生

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『葆光千杏居士追善集』(杏岡軒魚生編)

千杏は袋村(現鴻巣市)の医師川鍋家五代目玄佐。

明和3年(1766年)4月10日、千杏没。

明和3年(1766年)5月、『葆光千杏居士追善集』(杏岡軒魚生編)。

捨る名は葉に譲はや桐の花
   葆光千杏居士

   悼 右前書略

端居する友は欠たり夏の月
   文杏
 鴻ノ巣
身の上を知た覚悟や夏書迄
   柳几
 
藻の花や残って水のとゝまらす
   東阿
 高崎
夏柳動かぬものとなりにけり
   雨什

   喪中吟

俯向て日にさへうとうと百合の花
   魚生

   常にこのミ給へることをおもひ出して
 魚生
備へはや新茶も今は初昔
   妻

 師に陪  

 葆光主人悼

   ことし卯月はじめ上毛の山家へ趣く道、
   急に箕田の詞友に朶翰を残し、帰路は
   かならすと約して、周歴の榔□をけふ
   や其門に曳けハ、老人は往し、十日の
   夜下世は、と聞さへ魂消るはかりに、
   本意なくして一章を碑下に備ふ

慕ひ来て橘空し花の跡
   烏明

   上毛行脚の帰るさ夏に来って此愁を驚く

碑のぬしや鶯も音を入にけり
   昨烏

   江戸文通

薬玉やヒノ記念に薫りけり
   百明

百草もはかなし薺の料理種
   紫居

   今や八功徳地の車大蓮の上に、歌舞の
   菩薩の友出来て不退の納涼しまふなら
   んと、十万億土を相(想)像して

こちらてはあつき涙のすゝみ哉
   鳥酔

   明和三丙戊(戌)竜集仲夏

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