建部巣兆

『せき屋でう』(巣兆編)

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享和2年(1802年)1月、巣兆は上方に旅をする。七五三長斎を訪れる。

長斎は大坂で船宿を営む。別号柿壺。柿耶丸。

文化10年(1813年)、『万家人名録』(柿耶丸長斎編)。

文政7年(1802年)4月19日、68歳で没。

八月中旬より誹かい熟す。但し大みやうの金借ル比、または炉びらき・口切の時せつ、すべてふさがり、明の方にむかひて兵庫に行事大によし。

   旅窓春興
秋香菴 巣兆
高砂に親の書もあり筆はじめ

   なにはにて

柿壺や奥に老木の梅の花

   句順任先例

咲初し日をこそしらね松の花
   李喬

息岑のあり明ならず梅の花
   春蟻

春の水春のさざ浪いづこまで
   完來

結び昆布春のもの迚解安き
   寥松

いつの年も月夜なり鳧わかな摘
   はまも

鶴龜のうぐひす聞て居に鳧
   道彦

居ねぶりのうちも梅咲日なた哉
   成美

鳥追ひが寐せてはおかぬ門の春
   其堂

ぬる蝶にさはりさはらで蝶飛ぬ
   一草

   須磨同行

蜑の家は師走もしらぬ月夜哉
   岳輅

窓しらしら瓶の梅が香春をはく
   二柳

ふたり出みたり出つゝわか菜摘
   奇淵

松かぜは吹ものにして春のかぜ
   斗入

梅の花正月おゝきところかな
   升六
  霍聲居
風花も降う氣しきの柳かな
   國村

在于時享和二年壬戌生月吉辰秋香菴主

大坂柿壺客中就需飛校畢

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