王子神社

『桜苗』(野橘・宜応・沙鴎編)



 享保元年(1716年)、野坡は西国行脚の途上妹尾由均の別荘千之舎に立ち寄る。

 元文2年(1737年)閏11月17日、野坡は三原からの福山に移り素浅を訪れる。

 元文5年(1740年)、『桜苗』(東西軒野橘・時々斎宜応・梅水堂沙鴎編)刊。雨声庵素浅序。梅従跋。

桜苗序

吉備の後陽わかれて代々の詠歌八の名所に残れり、次に五七五の狂句もや並らへなんと思ふ事久し、はからさるに享保の始、浪花の浅生翁西国行脚の杖を爰に留められしを、其門に随ひ春は東風に帰帆を待、秋は雁翅に懐紙を贈り、彼八題をも探て俳友芦鴻に図せしむ、一とせ先生福府の城東妹尾氏か別業千之舎に遊へり、此舎や南に海を抱、蓑島・仙酔を直下にし、四国の峰雲間に霞ミ、後ハ蔀・深津の山続きに覆ひ、空に藪垣茂て細き流を帯、市中程よく離れ薪水の便憂あらす、雪月花鳥の詠にも足れりとて、茅の一宇に風羅翁の共幽魂をトシ置れしより月次会す、ェ風雅至らされとも俳諧の道筋は付来りぬと師恩を尊む、爰に同志後学の数輩音を知る交に蓬窓を訪ひ雨声か硯を同ふし、四節の変情をめくらし二吟の契りを結ひ、又ハ旅客風友の残せる言の葉草、とし月積りし机上を払ふに、中にも

灯火もうこかて丸し冬籠
   野坡

とありしは、過し冬市木島の帰るさ、愚扉 問れし吟にそ、其夜是等の事とも閑談し、藻しほ草かき集しを 操(繰)返し、これや桜の苗ならめと興して其趣をゆるされ侍る

元文四己未天首冬日
   雨声庵素浅

武倍山   家隆卿

ふくからにむへ山風もしほるなり

   いまはあらしの袖をうらみて

   炭竈

炭やきの煙ハほそし飯の下
 浅生翁

すみかまや片荷の畚(ふご)の一世帯
   沙鴎

鞆浦   為宗卿

梓ゆみ磯辺にたてるむろの木の

   とことはにうつ鞆のうらなミ

   綿とり
  豊後
綿つミや橋は町出の児すかし
   馬貞

   生海鼠
  浪花
たはら子と明けは名乗らん除夜の舟
   梅従

なまこかな鯨はもりの尖り声
   野橘

   歌仙

水底も秋ふる色や初なまこ
   浅生

 寐かほ吹かるる磯の朝霜
   達士

かりつとめ鼻紙代と名を付て
   素浅

 せまき勝手に街衝立の隈
   芦鴻

野のけしき爰もおそらく月所
   沙鴎

   乾坤

名月や錦けされて草のはら
   浅生

   草庵普請すとて仮に瓦町にうつりて

いなつまやなれも浅茅の市茄子
   浅生

   病中吟

我を呼声やうき世の片しくれ
   浅生

   蓑島 田島に渡るとて松か端より小
       舟うかめしに沖の方風雨して

みのしまの裾うつ浪や秋日和
   素浅

   態門

むら雲や雨は手ニ来る鱸釣
   浅生

啼癖になれほとときす宵の声
   浅生
  洛下
さし寄に木陰出来けり郭公
   風之

うつせミや宿ハ木の下桜かり
   浅生

   冬 素子か許に遊ふ
  浅生庵
灯火もうこかして丸し冬籠
   野坡

自酌の酔に向ふ芦の下
   素浅

  丁部の端山に祖翁の魂を仰と
    永々此道の栄へを祈るのミ

凍みちや梅色香もる風羅堂
   野坡

   妙法寺為哺子に遊て

茶の花や水に香もなし里の寺
   浅生

神の灯の戸の破れもるや梅の花
   達士

   草戸稲荷宮初夏卯月
   神事にまうて侍るに
  雨声庵
神の日や餅しるこほすはつ袷
   素浅

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