平橋庵敲氷

『埼玉紀行』

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 安永10年(1781年)1月18日、平橋庵敲氷が葛飾の庵を出て埼玉の鴻巣・忍を中心に遊歴した時の紀行文。2月11日、帰庵。

春もやゝけしきとゝなひて、梅の匂ひは更なり、たんほゝ・すミれに野をなつかしみ、しきりに旅すゝむる神の身にそひ給ひけるにこそ、埼玉の津におる舩のと、詠しけんかの境なりける忍の行田に、訪ひまミゆへき友かき侍り。はた鴻巣の駅にとしころ相しれる人の、かねて約セし其事かの事おもひ出て、む月十八日鳰とりのかつしかを旅立てゆくゆく吟す。雨凌くよすかにと、大菊ぬしのうらなく贈られし菅笠の端に狂筆す

うくひすにからすともよし旅の笠
   敲氷

戸田の渡し守かゆきゝの人待々て、とミにも掉さしやらす、正月は船祝ひといふわさすなれは料足たうべよと、人ことに乞ふさへ顔むくつけく声かまひすし。船より上れは夕つく日おほろおほろとすゝろに万里のおもひをおこす。水に遊ふ鳥の鳰に似たりし、翅さへなつかしきかたあれは、ふり返りつゝ云捨けり

かつしかもかつ見へわかす夕かすミ
   氷

「木曽街道 蕨之驛戸田川渡」


おなし旅のさまに物セしものゝふの、供をもくせす急きたとるけハひもなくて、我に物かたり寄る。世の中の塵の事ハ露かたらて、たゝ花鳥にのミそ心をそめたり。其心はへのおこかましからねは名乗問ひけるに、大沢氏以一とそ答ふ。後藤の家に扈従して彫刻を事とするか、古郷也ける上毛の厩橋に行かよひ侍るとなん。こよひハ浦和の駅に共にくさまくらして歌仙一折興し侍る

「木曽街道六十九次 浦和宿」


大宮の原とかや、凍解の忍ひかたき道のほとを跡に先に連立ゆく。むかしハおそろしき山賊のかくれ伏て此原に人をさくへしとなん、足立の郡なれはとて鬼こもれりとも云ものセしか、今太平の御代に逢て風の音さへ和らきぬ

爾時過るほとに鴻巣の駅にたとり着く。やつかれハとゝまる。かの人ハ上毛の方に心はへりか也、かたみにふところ紙とり出してかいやる

眠うなる時見うしなふ胡蝶哉
   以一

行もありすハるも有つ鳳巾
   氷

「岐岨街道 鴻巣 吹上富士遠望」


布袋庵のあるし、かねて待もふけしとてまめやかなるまゝに、廿五日迄杖をとゝむ

けふハ御忌なれは何かし勝願寺に詣つ。関の東の十八檀林とかや。木立物ふりて鉦の音すミワたりぬ。眠り覚たらん人ほと念仏せよと、祖師のしめし給ひし事おもひ出られて

念仏にも眠らは眠れ春の雨
   氷

勝願寺仁王門


忍の行田に赴きけるに、柳也・支有ふたりのぬしか道しるへして、名に聞ふるをさきの沼をたつぬ。埼玉のおさきの沼ハまにえふ集に舟と鴨ともよみ合せたる和歌有て世に名たゝる所也けり。千載を経るほとに、飛鳥川にたぐへて今ハ田と成り畠ともうつりかハりぬるか、其おもかけのゆゝしく覚るまゝに、杖を立てやゝ時をうつし侍る

埼玉や囀る鴨にことゝハん
   氷

日たけなわに雨催すへき空のさまなれは、こよひハ此里に長なりける平田氏かもとにやとる

廿六日、忍の行田にいたる。鈴木氏なる人ハいさゝかゆかり有て、ミよしのゝたのむの雁にかねてせうそこ贈り聞へたりし、こたひ遊袋を携へて訪ひ侍るに、あるしハ元より文の道に苦学して、世の人にもしらるゝ事年久しかりき。やつかれか好めるすじなれはとて、梅花のほ句口すさミて旅のこゝろをなくさめらるゝに、とりあへすむくひてかくなん

雪積んた窓猶寒し梅の花
   氷

此ほと二日三日くもりかちに空冴返りぬれは、籠り居てさうし読なとしつ。又よしなしこと語りつ明し暮すに、何かしの人々来て訪る

晦日、風吹ぬれて春めきたれは、郊外迄爰かしこ杖を曳て逍遥す。遍照寺とかやいへるに秀衡の駒繋松と名付るあり。さたかなる記ハなしと聞ゆれと、いと物ふりておかし

清善寺の禅室に立寄たれは、茶を喫せよととてしハし物語る

更に塵ひく所なし梅の花
   氷

   二月

三日ハ初午祭とて町も在所もさゝめく。あるしに一句を乞れて

初午や翁さひたる屋しき守
   氷

四日、行田を立出るに、子又ミつから竹を伐て杖をさつけ、佐間てふ所見送る。霞立ワたりて雲翔る鳥のこもり声なるも、共に別恨を添るにやと覚へ侍りし

彳むて蝶之彳む野中哉
   氷

箕田のやはたのミやしろハ渡辺綱の産砂(土)近きころこのあたりなる人碑を立て其紀を刻めり

箕田碑


鴻巣布袋庵に又ひと夜二夜いこふて吉見に赴く。嵐二・柳也ふたりのぬしも共にゆく。此巾亭にハ待ワひたりしと道迄迎ひおこセたりし

よしミ岩殿山の観音ハ坂東十一番の順礼の霊場とかや。寺は安楽寺とそ聞ゆ。過し年あたり近き火災にもこのゆへなきよしいと尊し

仏の座ふしきに残る焼野哉
   氷

松山に相しれる人を尋て川越にいたる。かしこにてかの三士に別ををしむ

よしミ・鴻巣の三士予か旅の行衛うしろめたしと、松山のいるまの川をも打越し、たのむのかりの頼母しくミよし野の里迄そうしろ見送る。なをはてしなけれはとて、東西に袂を分ち侍るに

山へたち川隔けり夕かすミ
   氷

十一日、川越を立出るほとハ雨ふり来ぬへきさまなれは、あるしあなかちにとゝむれとも、此ほとのくもりかちハ霖雨はかりかたし。猶翌日にはまさりなんやと戯れたれは心に任せつ。三里五里はかりハ降も出す晴もやらて、心ほそく野火留といふ所に休らふ

野火留の村としれたり雉子の声
   氷

平林寺を尋るに、木立深くわけ入て東西をしらす、かけひの響き誦経の声なして、外におとなふものなし

実相の風和らかに松かしワ
   氷

平林寺


寂莫たるたゝすまゐいはんかたなく、猶爰かしこ眺たるに、林間より犬の吼出たるかいとおかしく覚て、汝元来よく門を守る、千丈に霊を伝る事なかれと、興して立去りぬ

膝折・白子といふ所より、雨いとう降出て、嵐もはけしけれは、しハしハ凌かたく、伏まろひなとして狂句ふと吟したれとしるさす

黄昏過ぬれは、空のけしきしつかになりて月おほろおほろとさし出たる影にめてつゝかてしかに帰る

   安永十辛丑年二月

平橋庵敲氷稿

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