砂水御林町(さみづおはやしまち)にあり。真言宗にして、本尊に地蔵菩薩を安置す。弘法大師の作(御丈九寸八分)なり。梶原氏の草創にして則ちこの地はその宅地なりしとなり。縁起に云ふ、この本尊は、梶原氏代々その家に伝へて尤も霊威なり。然るに元亨の頃、智弁と云ふ沙門、眼疾を患ひ、この本尊に祈念して不日に本快を得たり。その後世の中大いに乱る。爾(しか)るに本尊の所在しれざりしに、文亀年間、梅巌阿闍梨当寺より四五町西の方経塚といへる地にしてこれを感得せしとなり。
|
来福寺

真言宗智山派の寺である。
御府内八十八ヶ所霊場第26番札所。
来福寺に雪中庵蓼太「世の中は三日見ぬ間に桜かな」の句碑があったはずだが、気付かなかった。
|
世の中は三日見ぬ間に桜かな
|
寛保2年(1742年)、蓼太25歳の時の句。
一般に「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と知られている。
雪中庵蓼太は大島蓼太。『蓼太句集』は明和6年(1769年)刊行。
後日、写真を撮りに行った

天明7年(1787年)9月7日、蓼太は70歳で没。
天明7年(1787年)11月、建立。四世雪中庵大島完来揮毫。
姨捨山の長楽寺観音堂に文化7年(1810年)の俳額と弘化2年(1845年)の俳額がある。
文化7年(1810年)の俳額には三世雪中庵大島蓼太や四世雪中庵大島完来が奉句しているそうだ。
|
奉納
文化庚午雁来三五日
月を出てつきに野山に入夜哉
| 雪中庵 蓼太
|
|
いにしへの月夜むかしの野山かな
| 雪中庵 完来
|
俳 人に戻る
