鶴田卓池



「奥羽記行」

 寛政3年(1791年)4月21日、鶴田卓池は岡崎を出立、「奥羽記行」の旅に出る。

 霍が岡より湯殿山の先立にいざなはれて、大網村の注連寺にやどる。

   篠の子の歯ぎれもうれし夜明空

      三山順礼

   湯けぶりの泪をさそふ湯殿哉

   夏寒し雲に身を置く月の山

   有とある木立まばゆし羽ぐろ山

 新堀といふところより船をのりて、酒田の港にわたらんと名にあ(お)ふ最上川にむかふ。

   大筏さすや五月の水曇

 鳥海山を半めぐりて、けふきさかたにふねをうかぶ。象潟はうらむるが如く、さびしさに悲しさをそへて、といへるけしき、汐ごしに宿をかりて又曙の感に絶(堪)たり。

   象潟や浪は新樹の薄萌黄



      立石寺

   清水汲てしづまりかへるこゝろかな



 仙台に入て丈芝の閑居を訪ふ。

      探題

   三日月に燻しかけたる蚊やりかな

 玉田横野を過て末の松山にいたるに、今は浪も遠くへだゝり人家草むらにかくる。

 壺の碑を一見して野田の玉川を尋るに、梔(くちなし)の花のみ咲乱れてこととふべき人も見えず。

 十符の里をたづね、千賀の浦にいでゝ、塩竈の神社に詣づ。

 いづれの人か筆をふるひ、言葉をつくさんといへる松島の絶景、詠なかばならずして月うみにうつれば、江上に宿をかりて又千島にむかふ。長途の旅宿よくも思ひたち侍るとおもふ心奢(おごり)に酒などくみて、明れば瑞岸禅寺に詣、しまがいそにいでゝ、また一日の閑にただよふ。



 名取川を過て岩沼に宿る。道祖の社、笠島の実方塚は、足のいたみに心いそぎて見残はべりぬ。武隈のまつを尋ね、あぶくま川をわたりて、白石の城下にいづる。

      文知摺

   草の香や石に乱るゝ夏の露

      安達原

   昼顔に身をうつ蜂のいかり哉

      白川関

   白川やこゝろとむれば鳴水鶏

 白坂といふ所、殺生石に入るみちのほど三里ばかり。芦野の清水は片山陰にあり。

      那須野

   鳥影も見えぬ那須野の旱かな

      日光山

   薫るとは御山風の名なるべし

      筑波山

   雲かよふ女山男山の茂かな

      東都偶居

   旱日や草に出て居る鼠ども

 江の島鎌くら、のこる所なく一見して、七里が浜のうつせ貝をとる。

   浪のあと砂のながるゝしみず哉

 足柄の関を越えて、竹の下みちとよめる竹の下に草鞋をやすむ。

   富士の雲瓜むくひまに替けり

      富士山上

   時しらぬ山に来にけり苔の花

 江尻駅よりふねをかりて、一日三保の松原に遊ぶ。

   忘れ寝にねもしつ三保の松の原

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