各務支考

『夏衣』(東花坊)


宝永5年(1708年)4月、各務支考が木曽から越後へ旅した折の紀行。

夏ごろも、ことしは木曾の旅ねして、越後のかたにもと思ひ立侍るは、高田直江津の人々にも、かねてはちぎり置る事なるにぞ。むかしはなにがしの法師、うき世の外のすみ所もとむとて、此道をしもたどりけむ。我は麻きぬのあせにのみ、岨のかけちのむねもぞとゞろきぬる。

   梯のあればや雲にほとゝぎす

比は卯月の廿日あまり。木末は花の春をとゝめながら、谷の戸はいまだ雪にぞとざせる。彼うら島が寢覺の床とやらんは、此木曾川の勝絶なるべし。

   鶯のねさめや四月五月まで

寝覚の床


名にし福島といふ所は、木曾にもあらずにぎはゝしきに、なにがしの家にゆかりの事侍りて、どんすの光に一夜の旅寐をも忘れつ。主は殊にやさしき男なりしか。

   木曾は今さくらもさきぬ夏大根

されば古里のかたもほどへぬらん。かの松本にまつ人もなければ、心もせばのほそ道にわかれて、淺間がたけそなたなるらむ。今はた木曾路の名殘さへおしまる。おか田峠、猿が馬場、かの姥捨は妻手に見なして、その夜は善光寺に旅寐せしが、今宵は暮て卯月のつごもりなりけり。

   佛だに姥捨山や五月やみ

是より武陵の道通して、ゆきゝの人心もはなやかに、馬もいなゝきて目もさめぬ。高田の城はせき山のこなたに見へて、さは又我が里の心地するに、旅にはこりぬ我か旅の心なるべし。



出雲崎

      聖衆院
東花坊

   五月雨の夕日や見せて出雲崎

    帆はしろしろと沖の涼風
   支考



宏智法印
東花坊

      爰に此由身を拜して あなたふと
      薄も生ず夏の山 と申侍るか一句
      の姿ちからなきやうにて此法印に
      あざむかれんも口おしければ

   六月は空鮭おがめ鯛よりも

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