加舎白雄



「南紀紀行」

 明和9年(1772年)4月、加舎白雄は古慊・如思(斗墨)・呉扇・滄波と共に南紀吟行に出る。

長島の浦琴堂宝古に留られつゝ、日数そこに遊びてふるさとゝ云浜に袂をわかつ。順礼のはじめ、先のこぎり峠打越て八鬼山を昇るに、

   七尺の歯朶のしげみをかざし哉

那智の滝

(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

望滝水

那智山は玄聖のあそべる処か、あやしきまでに霊也。あふぎ見る滝津瀬は蒼穹に目のおよぶのみ、ほら貝釣鐘なんどいへる奇石数を尽し、画る人だもおもひかたからんかし。あまたゝび飛瀑布を見おろせど、幽渓に落入て其界をしる事なし。水かみは空をかぎりとすべし。落る処の定めがたきも又あやしからずや。左右にひゞきちるありさまは急雨の如くして、たちまち変じては霧と覆ふ。かゝる処に歩するは、粒をたち芝を茹ふ人ならではと、たれかれをさへ思ふ我をも疑ふ心地こそすらめ。始は心おだやかならず、既にして体おだやかに閑なるは、嗚呼霊の霊たるゆへなる哉。誠に塵須を濯ふて我心爰にあた(?)らし。

   かくの如く滝にぬれけり夏衣

紀三井寺

(和歌山県和歌山市)

紀三井寺へ参りつゝ、げに水月道場なる事に、

   御堂かげうくや五月の入江濁るとも

玉津島の社頭

   神の渚玉藻の花の咲にけり

和歌浦

しりうたげしつゝ芦辺を望むに、初舶のゆきかひ、魚とる業、いづれも此浦のけしきにして、潮のあゆみひまなくすゞし。

   芦の葉や今みつしほの若の浦

班鳩王御廟

くづれさせ給はぬよりも、此科長の里にかくをくつきをいとなみ、みくらゐに換て扶桑仏法の祖とあふがれさせ給ふ。それさへやゝ千載に及びつゝすゞろにたのもしくりんたう高におのがじゝに這わたりて、日暮の地籟道心をおこさしむるぞ尊し。

   築垣や梵字をめぐる夏の風

花に明行神の顔と聞へしを歯牙に味ひつ、かつらき山の麓を過るに、卯の花かげほがらかにさしかゝりて、くめ岩橋はいづれに、ぬば玉のちぎりを思ひ合て、

   夏の夜間なく神の行方や山かつら

當麻寺

(奈良県葛城市)

詣当摩寺

法のかたいと赫々たる一軸を拝む。いむ事をたもつ斗もたうさなるに、みやうかうの光りいとながき影みちさせ給ひし曼多羅一丈五尺、紡績の室はわづかに九尺、間のあたりのふしぎなみだこぼれて、

   おく物はひろき蓮の台哉

あすかのみやしろ橘寺拝みめぐりしに、艸しげき中より手のひら斗なる瓦を拾ひて

   ゆりが根に千とせの瓦得てし哉

こゝろに興じて行々が中にも

橘もあすかの里も砧うつ

かく聞へし師が遺草いとなつかしく、そこに一夜をやどる。

   岡の町よ夏夜衣うつ宿も哉(がな)

長谷寺

(奈良県桜井市)

登泊瀬山

救世大士をおがみおはりて勾欄にせなかをしつゝゆほびかなる東西を臨むに山おろしの風は午時の梵声にひびき樹色雨をふくみて僧房の書帙を侵す錫のたちしところ鶴のとゞまりし所も遠きにあらずかゝる不染の地なる事を

   新樹ふかく大観音のあらしかな

   南紀紀行終

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