宮沢武曰

『物の名』(武曰編)


 文化7年(1810年)春、武曰は酒田の長翠を訪れ冬日庵の号を譲り受ける。5月、冬日庵開庵。

『物の名』は開庵披露集である。鴎翁序。五芳跋。

 鴎翁は善光寺代官今井柳荘。大島蓼太に師事。五芳は闌更門の俳人。岩本氏。

元日やためしも長き人のたね
   虎杖

風人をめぐらば霧の晴かたひ
   其秋

  相中
しる人をふしみにもたぬ寒哉
   葛三



  江戸
寝おきから団扇とりけり老にけり
   ミち彦



  ナゴヤ
(よい)月が出よふ(う)とするぞ秋の暮
   士朗



花の日数こらへこらへしが夜の雨
   如毛

雨風にわりなき芥子のさかり哉
   竜卜

  秋田
長き夜の草にかへるか雨のおと
   可来



  上毛
梅咲やうすき茶碗のもちごゝろ
   つくも



  八王子
雉子の声山は無情のひゞき哉
   星布

  大坂
どの家もねぶりどの山も冬の雨
   八千房



月雪のともまどわ(は)せや啼千鳥
   雨紅女



  江戸
我寝ぬを隣はしらじ蚊のさは(わ)
   完来



  
落葉かき狐の玉を得もすらめ
   五渡



  ヲク
蚤のあときゆるまで見ん筑波山
   乙二

  南部
雪を花に岩手の山や春三月
   平角

  大坂
嵯峨山や夜寒のための小菜陸田《毛》
   奇淵

  三州
きさらぎや花に煤はくよしの山
   阜(卓)

  兵庫
月見ればたゞ山見れば姨が秋
   一草

   白川の関

霞かなうそにも始終りあり
   武曰

ふるさとやいくつも秋の立処
   松宇

  ヲク
我さとに似た処あり梅のはな
   巣居



  白石
浪ぎはの家から出たり春の月
   太呂



  カヒ
桐の葉や日かずのたつた夏の月
   嵐外



  仙台
浅間見て何処まで行ぞ蚕紙うり
   雄淵



  江戸
うそいはゞ今も死たし玉まつり
   成美



  南部
先へ立しは母なるか夕ざくら
   素郷



  カヅサ
かすんでもひとくせあるや礒の松
   雨塘



うれしがりて旅人通る田植哉
   素檗



  
夏の月近ひ(い)山よりちかひ(い)
   五芳

水音のかぶさる月の薄かな
   知洞

水のみに鼬(いたち)の出たり冬の月
   春耕



川がりに桶かりらるゝ庵かな
   柳荘

さりながら牡丹もちけり草の庵
   伯先



  イヨ
折梅にお(を)るべき枝はなかりけり
   樗堂

参宮の子に火を打や冬の梅
   希杖



   言 形

此よふ(う)にうれしきものか初子の日
   超悟

  相中
巣にあれば烏も觜のうつくしき
   雉啄

赤菊のゆるりと秋を咲にけり
   春甫

ぬるゝほどふくれて見たし初時雨
   鳳秋女

夕ぼたんものいふ如くかほ(を)るなり
   巨朴

鬼を追し男先立種おろし
   如酔

  ハリマ
竹植てありつく寺の男かな
   玉屑



  
花ざかりおもひ出しては風が吹
   雨考



  カヒ
蝉啼や井戸ほり独世にあはず
   かつり



  
八朔に目出たや五斗の米ぶくろ
   冥々



  江戸
いなづまやおろかになびく花すゝき
   春蟻

さみだれや百合のたぐひも花が済
   何丸

  江戸
行秋やどれが先だつ草の花
   一茶



  江戸
秋立や雲の下行あさのくも
   其堂



後の月鳥ともならで啼鼠
   雲帯



  江戸
爺婆ゝの有がたくなる木葉哉
   巣兆

  
ちゝはゝよ後生たのまば後の月
   蕉雨



  江戸
ゆれあふてけふも暮けり春の海
   午心



  
あすからは朝の間に見ん秋の山
   曰人



  大坂
とくとくと心夜に入蕎麦湯哉
   升六



  
かすみ来て寝よくもなるや山の家
   幽嘯

  
かへる雁いせの曙寒けれど
   双烏

   国のとなりに松島をもちて

やる文も年のいそぎやみちのおく
   長翠

 川中島にちかき善光寺に冬日庵をむすび、社友のともがらを、石垣にして冬籠の城郭と定め、さらしなの月に天の時の杖をひこづり、よし野の花に遠く地の理をおもひつゝ、無量の発句を帷幕のうちにひねり、あらたに一集をつゞり千里の敵を引受むとはかる。曲者にふんでの弓矢とるほどの人々は、はせ向ふて太刀合せし給へかし。我はしばらくうしろを見せて越後の国に引とるといふこと、しりへにかいつく。

岩本入道五芳

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