建部涼袋

『三野日記』


 明和3年(1766年)10月4日、建部凉袋は「三野日記」の旅に出る。

 神無月四日といふにみちたちして、其夜はあやしきうまやにやどる。

 五日、鴻の巣のうまやまでと行に、雨ふる。

   くるしくも旅にしあれば行われをあまづゝみせずと人や見るらむ

 10月4日、熊谷堤を行き、熊谷に泊まる。



 七日、雨なごりなく晴て、日かげいとけざやかなり。くまがやの堤を行とて見れば、冬の花どもいとはかなげに咲けり。

   くまがやの道のくまびにさく花を折てぞしのぶひとりし行けば

 さて熊谷なる長栄(ナガヨシ)がりとふに、とゞめられてやどる。

 10月18日、本庄宿へ。



 本庄のうまやにて玉宇(いへ)がりやどる。こゝも四日五日ありしとおぼゆ。こゝより便り求めて、信野なる友がきへ、いと寒けくもなれば、ことしもえまかるまじきよしを聞こえやりぬ。

 10月22日、新町宿へ。



 雨ふりしかども行べしとて、あるじもあどひて、新町のうまやなる禹貢(ミツギ)がりうつる。また指山亭にもやどる。藤岡なる素明(もとあきら)来て、一夜やどりて帰る。

 10月29日、玉村宿へ。

 末の九日、玉村なる勇水(イサミ)・青賀(アヲホギ)等むかへて、其所に行く。道はいと近きほどなり。をばな折れかへりたるかたへに、おくつきのあるを見て、

   なき跡のさゝやかなるは子にかあるらん

 11月7日、前橋の素輪のもとへ。

 美昭はあどひて、前橋なる素輪(シロワ)がりともにやどる。三日ばかりとゞまりて、あるじ素輪伴ひて伊勢崎の国府に行。玉村なる勇水、きぞより来て有しが、同じくつれぬ。

 11月25日、伊勢崎から新町に向かう途中で玉村に立ち寄る。

 廿五日、つとめて千山・百波かへるに、我はまた新町へと行わかれぬ、道のほとりなれは、玉村なる青賀をとふに居れり。勇水も来たれり。又あるじぶりするにあひて、未ばかりならむ、禹貢がりつく。

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