西山宗因
「松島一見記」
寛文2年(1661年)7月20日過ぎ、西山宗因が勿来の関を越えて松島に向かい、10月武蔵の国に到るまでの紀行。 |
身をうき草のさそはるゝかたもなくて、こゝろのゆくところにまかせて、春過秋来、既文月二十日余には、みちのくのなこその関をこえて、なにがしの城下にいたる。 やうやう八月いざよひの頃、ちがのしほがまちかきにはあらねど、みやこよりだに思たつべきをともよほされて、同行をさへたうびにければ、道すがらくちずさびつぶやきもて、相馬殿の知よしゝ給中村をすぎて、名取川をわたるとて、 むもれ木はいつの紅葉かのなとりがは 仙台にいたりつきぬ。太守領じ給ふ所なれば、いふも更也。城郭は岩壁をたたんで雲にそびえ、うしろの山は衆木青みわたりて、所々黄ばみ紅葉したり。前に川有、しら波岸をうつてみなぎり落、たゞには過しがたくて、 前の守たゞひと目にてみちのくの仙台川やまもり置らむ 是よりしほがまに五里有。其程、宮城が原を行。おりしも秋のさかり也。 みやぎ野を都の嵯峨は花もなし 岩城をたちて六日にや、まだ朝霧のほどに、かの浦につきぬ。聞くならく、六十よ国の中々に詞を絶たり。河原のおとゞのむかしおもひやられて、かの朝臣の爰によらなんとながめしあまの小舟に乗て、霧のまがきのしまがへ(くカ)れなくさしめぐる。 浦山はいづくはあれどあま小舟かゝる所の秋の夕ぐれ 塩がまや色ある月のうす煙 島かくすそれしも霧の籬哉 さて、松しまのたゝずまひ、やうかはりめづらかにて、いたりふかきくまぐまみどころおほし。其夜はあまのとま屋にやどる。 いのちこそうれしくみつれ松島の松の思はむよはひながらも 松島の夕を秋のゆふべかな 松島やをじまはしみて月の舟 此度は白川の関にかゝりて、 遠く来てあき風分る関路かな 雁よまて故郷へ一書二所関 下野国芦野といふ所に、西行法師のよめる清水流るゝ柳のもとにて 時雨にもしばしとてこそ柳陰 なすのしの原をとをる。 風や時雨なすのしの原露もなし |