五升庵蝶夢



『草根發句集』

安永3年(1774年)12月、『草根發句集』(蝶夢著)自序。

 我むかし家を出て東山の方丈に入て後、駝鳥の比ならん書架」に枝葉集といひける書の有けるを見て、俳諧のをかしきをおほへしより、京極中川の院に住けるに師の僧の般亮といひ、法兄に一松といふ人の有けるか常に其こゝろを語けるを聞てみつから蝶夢と名を付ぬ。しかりてよりのち都下のはいかいに、遊ひて空腹高心の人と成しに、さるへき因縁の時いたりてや越の敦賀の浦にて芭蕉翁の正風體を頓悟して、それより花月の時にふれて感し羈旅懐舊の折に催されていひ出し發句を書集め置るか、ことし三月のはしめ草庵も一場の燒原とうせけるに、其集も共にうせて跡かたなし、されは東福寺の正徹書記か和歌の家の集を燒うしなひてのち、思出て書つらぬるとて野火燒とも盡す春風吹て又生すといひし白氏か言葉によりて、草根集と名付しも身の上に思ひ合せてなつかしく、其事の心もさも似たれは忘艸のわすれましきために、もしほ艸かき集たるをも草根句集と題して置ぬ。みしや後の見む人に、昔を忍ふ艸の露はかりの心あらは、その言葉のつたなき蓬のまかれる麻のすなほなるも見所なしとかなくり捨すして、今はこの人もかれ草の土の下に朽けるよと、名をもいひ出たまへやと。安永午の師走雪ふりつみし窓の影にて

五升庵のあるし 蝶夢みつから序

      春

   寺務をのかれて隱居の春をむかふとて

元日や今まてしらぬ朝朗

   年ころ住なれし京極中川の庵も猶市中のかしまし
   けれは、東山岡崎の里に移りて一つかねの草の庵
   を結ひ世外の春を迎ふに、汲ほすほともなき住ゐ
   なから

わか菴や鶯のなく藪も有

   伊賀の桐雨の許より、年立や新年ふるき米五升、
   といへる祖翁の短冊を贈りけるに、よしや其隱操
   はまねふへくもあらねと、その貧閑のこゝろをも
   わすれましと、みつから住る庵を五升庵と名付て
   試筆の硯に向ふ

凍解や硯の水もつかふほと

   四十の春

朝からす老のねさめの始かな

   奈良二月堂の修法に祖翁の發句を思出て

けしからね冴返りたる沓の音

   丈草法師の寢轉草再板の時、二月廿四日忌日なり
   けれは龍ヶ岡の墓前に手向るとて

墨の香や二たひ萌し岡の草

   甲斐の酒折の宮にて日本武尊の古ことを

わか旅もいく夜か寢つる春の夢

   更科山にて古物語の心を

よしや今姨捨るともはるの山

   諸九か松島行脚に、みちすからのしる人の許へ文
   添てやるとて

案するな行先々にわらふ山

   諏訪湖

御わたりの氷は解て小鮒引

   祖翁百回忌曉臺興行に

手つたひて共にさゝけん花かたみ

   同忌を東山の闌更催しに

けふといへは花あり月も十二日

   熱 田

大宮司の門口しるし松さくら

   身延山の鶯谷にて鶯の啼を

囀りもよの声はなしみのふ山

   甲斐の信玄入道の古城にて

膝くみし十八將よ木瓜すみれ

   隅田川

猪牙舟や春のゆくへを追ふことし

      夏

   赤間の關にて、歌うたふ法師の人の門に立るも所
   からゆかしくて

むかし語れ麥勸請の琵琶法師

   鹿角の鐘か崎にて祖翁の發句思出て

晩鐘やわかはの中に沈むこゑ

   八 橋

二番咲も昔に似たりかきつはた

   三河の人々に訪れて七とせの昔を語る

きつゝなれし袖のゆかりや杜若

   嚴しま

うれしけに回廊はしる鹿子かな

   深川芭蕉庵の跡は、今は松平遠江守殿の館の内に
   在、主の殿の古へを好給ひて其古池は在し世のま
   まなり

水暗しからぬ菖蒲の五六尺

   善光寺

曉かたや一時に蚊のむせふ聲

   いせの二日坊か十三回忌に

みしか夜の夢かやきのふ二日坊

   太宰府の天拜山を

梅雨雲や天へ届きし嶺の松

   津經の里桂に別に望て扇に書て贈ける

窓からも帆に風そゆる扇かな

   芦野の道のへの清水にて

風呂敷をおろして凉し柳蔭

   嚴 島

凉しさや板の間から浪かしら

   浮風二十五回忌經題に
   福徳因縁得生彼國のこゝろを

初茄子こや富士に添ふ駿河たね

      秋

草の戸の世にはなりけり今朝の秋

   既白乙兒蘿來つゝいて古人と成し七月六道の珍篁
   寺にて

誰も來よかれもとかなし迎鐘

   杵築の蘭里竹馬か歸るを高瀬川に見送て

舟にそふて散行柳うら山し

   文素十七回忌に六字名號を句の上に置て發句せし
   中に

在し世のまゝや机にちる一葉

   去來處士か八十年忌の秋、うら盆の日眞如堂の墓
   に詣て

萩薄むかしの嵯峨もかくや有し

   可風か十七回忌に龍ヶ岡の墓に參て見るに石碑い
   と苔むしたり、こはもとおのれか筆とりしものゝ
   かくまて成けるよと哀にて

わか書し文字さへふりぬ萱薄

名月の曉かたゆかし人通り

   青蘿か中陰に

かそふるもはかなき秋の日數かな

      冬

   明石の人麿寺に、芭蕉翁蛸壺塚造立供養山李坊興
   行千句巻頭に

月高し塚は木の葉の山となるまて

   湖南国分山幻住庵の經塚に石を建ける供養の日咒
   願するとて

山の木葉ちりうせるとも六萬字

   嵐雪か蒲團着てと詠し東山は草庵のうしろなれは

ふとん着し山を背中に冬籠

   三井寺觀音樓にて

雪咲やよるの櫻と見し所

   一乘寺の詩仙堂

醉さめや李白か顔の寒けなる

   蕪村老人世にいまそかりける時は、俳諧に其角
   洒落を學ひ、丹青は顧ト之か風流を寫して世に紙
   尊かりしも、今は一ッの瓶に其骨をもりて有ける
   

白骨や梅の匂ひはかりのもの

   四月のはしめ山田原に入楚没し、五月のこの比は
   洞津の二日坊みまかりけると聞て

松竹もみな散うせて果は誰

   風律老人年比住る庵の庭に、みちのくの多賀城の
   碑になすらへて、京を去事何百里、嚴島を去こと
   何里なといふ事をしるし、庵の名をも多賀庵と名
   付しも今はむかし、其魂はいつくの浄土にやとな
   つかし

ほとゝきす庵をさる事何百里

      雜の發句

不二の影さのみはゝらす諏訪の海

   木曾路にて

三度まて棧ふみぬわか命

   越路にて

親しらすわか身もしらぬ浪ま哉

養老や齒のなき我も水結ふ

   いせの杖突坂にて

いつとなく我も杖つく小坂かな

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