俳 書

『句兄弟』(其角編)


元禄7年(1694年)8月5日、其角自序。

近くいはゝ先年明星やさくら定めぬ山かつらと云し句当座にはさのみ興感せさりしを芭蕉翁吉野山にあそへる時山中の美景にけをされ古き歌ともの信を感ぜし叙(ツイテ)明星の山かつらに明残るけしき此句のうらやましく覚えたるよし文通に申されける是をみつからの面目になしておもふ時は満山の花にかよひぬへき一句の含はたしか也



四番

   兄
   粛山

祐也が袖引のばせむら千鳥

   弟

むらちどり其夜は寒し虎が許



廿三番

   兄
   東順

夏しらぬ雪やしろりと不二の山

   弟

雪に入月やしろりとふじの山



三十九番

   兄
   晋子

声かれて猿の歯白し岑の月

   弟
   芭蕉

塩鯛の歯茎も寒し魚の店



   東順ノ伝
   芭蕉稿

 老人東順は榎氏にして、その祖父江州堅田の農士竹氏と称。榎氏といふものは、晋子が母かたによるものならし。ことし七十歳ふたとせの秋の月を、病る枕のうへに眺めて、花鳥の情、露を悲しめる思ひ、限りの床ほとりまで神(たましひ)みだれず。終にさらしなの句をかたみとして、大乗妙典のうてなに隠る。

入月の跡は机の四隅哉



   壬申十二月廿日即興

打よりて花入探れんめつばき
   芭蕉

 降こむまゝのはつ雪の里
   彫棠

目にたゝぬつまり肴を引かへて
   晋子

 羽織のよさに行を繕ふ
   黄山

夕月の道ふさげ也かんな屑
   桃隣

 出代過て秋ぞせはしき
   銀杏



隨縁紀行

   甲戌仲秋

木母寺に歌の会ありけふの月
   晋子

    三春の花、一夜の月、風光うつりゆ
    けども友かはらず。ことしは石山
    に詣て湖水を見ん、いや嵯峨の
    法輪にとまりて広沢をなどゝ、と
    りどり心定めかね、遠きおもひを
    つくして出たつ日をいそぎけるに
    思の外の風雨に旅行をさえ(へ)られて
    今さらに身をやるかたなく、人々
    一夜の逍遥をうらやみ侍るなり。
    九月六日 とかくして江戸をた
    つ。誹連これかれ送り申され、綰
    柳の吟あり。

首途(かどいで)をみよ千秋の秋の風
   岩翁

    箱根峠にて

杉の上に馬ぞみえ来る村紅葉
   晋子
              (※「木」+「色」)
     「秋の空尾上の杉をはなれたり」
     といふ吟、こゝにもかなふべし。

    三嶋にて旅行の重陽を

門酒や馬屋のわきの菊を折
   晋子

   佐夜中山

道役に紅葉はく也小夜の山
   晋子

   いづれも古郷を語るに

後の月松やさながら江戸の庭
   晋子

   熱田奉幣

    芭蕉翁『甲子の紀行』には、「社大イニ
    破れ、築地はたふれて草むらにかく
    る。かしこに繩をはりて小社の跡をし
    るし、爰に石をすへ(ゑ)てその神と名
    。よもぎ・しのぶ、こころのまゝに
    生たるぞ、目出たきよりも心とまりて」
    とかゝれたり。興廃時あり、甲戌の今
    は造栄(営)あらたに又めでたし。

更々と称宜の鼾や杉の月
   晋子

   廿一日 二見

岩の上に神風寒し花薄
   晋子

   時にふれて興多し

日の目みぬ紙帳もてらすもみぢ哉
   晋子
              (※「木」+「色」)
    当麻寺奥院にとまりて

小夜しぐれ人を身にする山居哉
   晋子

    当院に霊宝什物さまざま有。中に
    も小松殿、法然上人へまい(ゐ)らせら
    れし松陰の硯あり。箱の上に「馬
    蹄」と書て、野馬を画けり。硯の
    形がひづめに似たるゆへ(ゑ)成べし。

松陰の硯に息をしぐれ哉
   晋子

卵塔の鳥居やげにも神無月
   晋子

   玉津島にまい(ゐ)りて

御留守居に申置なりわかのうら
   晋子

   住吉奉納

芦の葉を手より流すや冬の海
   晋子

   十月十一日 芭蕉翁、難波に逗留
   のよし聞えければ、人々にもれて
   旅宅に尋まい(ゐ)るゆへ(ゑ)
   吟行半に止む。

句兄弟追考六格

檜香や木曽の堺の冬ごもり
   許六

駒牽の木曽や出らんみかの月
   去来

 ○ 豪 句

六月や峯に雲置あらし山
   芭蕉

応々といへど敲くや雪の門
   去来

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