横田柳几

鹿島紀行 月の直路』(柳几・篁雨編)


布袋庵柳几・松蘿庵篁雨の関東三社詣で紀行。

安永7年(1778年)8月14日、江戸を立つ。9月2日、江戸小網丁に帰庵。

家大人布袋庵主松蘿庵のあるしを伴ひて鹿島詣し給ふを送りて

初汐の頃よし艪も二艇
   柳也



花の細道の鹿島詣は凡廿とせ余りならん再ひ戊戌葉月十四日翁の月見の跡をしたひ東都の靠キョウ庵より旅装して従者和助に例の俳具を舁荷はせ主従三人両国橋を越本所堅川通逆井の渡し迄二りそれより田面を見晴して爰に首途の吟を述る

鎌入て月の直路や室の早稲
   柳几

杖たてゝ筆始よし竹の春
   篁雨

市川の御関所を過て渡しを越左の方の細道へ入高野台惣寧寺へ詣曹洞宗関東の触頭にて大寺なり境内古戦場一見を願て見物す抑此高の台はふるき文には国府台とも小府代とも又鵠岱とも書たり



日蓮宗真間山弘経(ママ)へ詣庭前に古樹三株あり所謂真間のもみち是なり枝の内一茎二葉稀に有外の樹より紅葉遅しと云

見出スにも二葉はまゝのもみち哉
   柳

秋もまた青葉のまゝの紅葉哉
   篁

真間山弘法寺


山門の石階を下りて板橋有長二間巾九尺是即継橋の跡なり側に石碑あり

継橋 継絶興廃維文維橋 詞林千載萬葉不凋

古歌にかつしかのまゝの浦風吹きにけり夕波こゆるよとの継橋の心をとりて

継橋や今は尾花の波も越す
   柳

手児奈大明神を拝す

手児奈霊堂


土芋の手こなも寄ルや井のほとり
   柳

真間井 瓶甕可汲固志何傾 嗚呼節婦与水冽清

真間の井や幾秋水も名も涸す
   篁

文巻川継橋の下の流なり

雁の影うつす流れや文巻川
   篁

万葉第三
   過勝鹿真間娘子墓
   山部宿祢赤人

古昔有家武人之倭父幡乃帯解替而廬屋立妻問為家武勝壯鹿乃真間之手児名之奧槨乎此間登波聞杼真木葉哉茂有良武松之根也遠久寸言耳毛名耳母吾者不所可忘
いにしへにありけんひとのしつはたのおひときかへてふせやたつつまとひしけんかつしかのままのてこなのをくつきをこゝとはきけとまきのはやしけくあるらんまつかねやとをくひさしきことのみもなのみもわれはわすられなくに

   反歌

吾毛見都人尓毛将告勝牡鹿之間々能手児名之奧津城処
われもみつひとにもつけんかつしかのままのてこなかをくつきところ

   万葉第九詠勝鹿真間娘子
   高橋虫麿

勝牡鹿之真間之井見者立平之水悒家武手児名之所念
かつしかのままのゐをみれはたつならしみつをくみけんてこなしそをもふ

旧跡一見して懐旧の泪を落し市川の宿へ出昼餉し八幡へかゝる右の少しの森あり人此中へ入らす入れは不出と言

夕霧や森へ入人神かくし
   柳

      八幡の祭礼
此所の鎮守明日なりとて里人立群けれは

牛飼も遊ふや爰の放生会
   篁

八幡よりかまかやへ二り八丁日暮に労れて漸くかしまやかもとにたとり付てやとる

まつ嬉し名も鹿島やの小望月
   柳

短冊に書てあるしに与ふ



○十七日雨降出して東西を分たず宿の子をあなひにて御社に詣す宮居神さび木立ものふりて忝なさに涙こほるゝの詠も身にしみて偈(ママ)仰の頭をぬかつきねぎことし侍りて

   神前奉納句

鹿の音にかはらぬ色の御山かな
   柳

御手洗の清泉いふ計なし坂を上りて音にきくかなめ石を拝す亘一尺余頂在窪 地上長二尺根深不可量

ゆるく歟と石試る蜻蛉かな
   篁

鹿島神宮の要石




東海間ちかく波音聞へけれはしはらく行て海原を望む雨朦朧として遠くは目におよはす漁家にしはらく杖をとゝめてもと来し道を帰る凡是迄二十丁程それより御ものいみの宮へ参詣し根本寺翁の碑を拝して客舎に帰る

御山アリ   此松の実生せし代や神の秋   芭蕉

治承の頃常陸国かしまの明神に参り侍れは御社は南むかひに侍り前は海後は山にて社いらかをならべ、回廊軒をきしれり汐だにさせば御前打板迄海になり塩汐だにひけば真砂にて二三里にをよべり南は海にてきはもなく侍れは昼はみなれさほさす船を見夜は波に宿かる月を見き北は山にて侍れは杉むらに落なく杜鵑の初音いちはやく聞へ草むらに露をそゆるよるの鹿暁さけぶ猿の声深山をろし松の風よにものあはれに心すごく侍り云云

右撰集抄に書し宮所は今の宮地とはかわれり往古は海辺に宮所有りしと也今海辺(ウベ)の宮と言又神野(カノ)の[宮と]言所有天降り給ふ地と云伝ふ神護慶雲二年道鏡の乱の時三笠山に神うつりし給へと此所をも捨ず常々守ると御詫(ママ)宣有しと也今社領二千石大祢宜大祝詞東祢宜外社人数家にて社領配分する也

瑞甕山根本寺




ことし鹿島のみやしろに再ひ詣けるに年月契り置し人は折から他にありてはからす釜やといへる旅やとりするにあるしはまめたちたる人にて万に頼もしくいたはられけれはうしろやすく信宿し侍るに戯れて

解初て寝る夜は長し常陸帯
   几

○十九日釜屋かゆかり有婦人のもとにて句を乞

梅か香やかねのさそへる朝ほらけ
   さよ

大船津迄人々に見送られてわかる銚子浦へ船を雇ふて乗折から追風にて帆を上けれは程なく息栖に船を着て神前を拝し忍汐井を見る

息栖明神の磯に女瓶男瓶とて二ツの寄(ママ)石有男は径一丈余銚子の形也女は五六尺計土器に似たり此石干潟には(ママ)出る中は素水也 諸国里人談

   心ある人みせはやひたちなる息栖の浜の忍潮井の水

鶺鴒や女瓶おかめのをしへ鳥
   柳

ねき言につれるや虫の藻にすたき
   篁

息栖神社




船を上りて飯沼田中氏百井を訪へは訴への事有て江府に逗留の留守なれは又船に乗て富田屋丁油屋か客舎にやどる医師萩原氏至岡問来て夜話数刻に及ひて臥ぬ

廿日天気よしつとめて波より東海の朝日を拝せんと走り出て待ツしはらくして日影さし登る赫々輝々として其景筆におよはす萩原至岡医業にて上総へ行とて三島屋烏朝と言俳士に案内せられて磯辺一見に出る飯沼観音和田不動に詣で川口に至り名有石を見る目を放てば東海渺々として霊波天を浸して面白し

   月ひとつ請心よし銚子浦



堂より一里程行て竹の内雪外舎眠江を尋ぬあるしまめやかにもてなして旅寝の夢を結

   はしめて雪外舎を訪て

花そはにそれと知れたり雪の門
   柳

竹林に酒を好みて世をにらみし趣にはあらて月下に茶を嗜みて庭の植樹を愛す雪外舎の風流に遊ひて

色かへぬ松やあるしの目も青し
      篁
岩立甚左衛門
 端居すゝめる峰の月代
      眠江

明日は官所の用ありて会を催す事ならされは溝原村巴蓼僧を尋ねよとあるしがさし図にまかす

○廿二日空曇る雪外舎の食客波江は武府の産にして謡曲の師也此子に案内せられて溝原へ畔道をたどる此間二り



○廿四日巴蓼僧を誘ひて蕪里村玉斧のもとを尋んと竹の内を立て道すから里名を探る



程なく蕪里村銀杏亭玉斧のもとに至るあるしは用の事有て家形といふ郷にありと人を走らせて戻りを待日暮れ帰り来てこし方のもの語にやゝ夜更て枕を傾く

あるし他にあり暫く帰りを待間に客名録をくり返して伽とす

句帳からも散銀杏あり亭の秋
   柳

○廿五日歌仙行

梓弓やさしの浦なる旧知玉斧老人の亭を尋ねて

一すしに目当の的や月のぬし
  柳

 笑ひこほるゝ粟飯の膳
   玉斧

秋の空癖しきりに降出してしよぼ濡なから徳願寺へ詣立なから拝して船の問丸に待合せ乗合に便船して暮かゝる頃江都小網丁へ着舟し夜に入て小網丁へ帰庵す

四季発句
   布袋庵社中

非番にも鍋とる燗や後の月
   柳也

茨の花咲や野駒の喰残し
   嵐二

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