谷川護物

『燧袋』(護物著)



文政7年(1824年)、刊。葛ふる序。谷川護物の紀行句文集。

 文政7年(1824年)4月26日、護物は江戸を旅立ち、軽井沢を経て信濃佐久の葛古邸まで旅をする。

 卯月廿六日、武江の草庵を旅だつ。板橋のすくより送れる人々にわかれ、練馬のかたへ杖をいそがす。

   井戸ばたの芍薬みする茶店哉
   護物

 途中、

   秩父根へ風吹かへす穂麦かな
   桐堂

 しら子の駅に馬をかりていそぐ。行道の小坂にしらぬ木どもの花咲出たる。

 五月四日

 川越を過て、とある家に、翌の節句の支度にうちさは(わ)ぐ。里の名をとへば、

   あやめふくや里は戸守の宵月夜
   護物

 よし井の里より荒川を渡りて熊谷の宿へ出る。

   遠山の雨雲きれて水札の鳴
   護物

 貞秀を尋るに留守のよし。こよひ深谷に泊る。水鶏は夜のみ鳴鳥にあらず、暁過てまた頻りになく。

   菜種殻踏ばかくるゝ水鶏かな
   一肖

 神奈川をわたる。

   翡翠の遊ぶ草なき早瀬哉   桐堂

 新町吉井氏、田喜のあるじをとゞめて、

   人並に竹うゑる日を訪れけり
   川二

 折にふれて雨降過ぬ。

   一雨晴竹うゑん空の気相かな
   護物

 下佐野といふ里に定家の社あり。いとゞ神さびたり。

   柿の薹(へた)何にせうとて拾ふ子ぞ
   護物

      碓氷嶺

 鶯、ほとゝぎすしばしば鳴、山桑と云る白き花、橡の木、藤の花みな盛也。

   夏山の四五丁つゞく荷牛哉
   ゝ

      権現の社頭

   宮ばしら五月の雲の登りけり
   桐堂

 午の刻過るころ峠を下りて、軽井沢の小まつ屋に草鞋をとく。

   山ぐせのあかるく成てさみだるゝ
   亀蓬

   鹿の子の寝た跡臭し門の闇
   玉蓬

 軽井沢をいでゝ雲場が原、沓かけ、追分より三ッ家(谷)の濁り川は不断赤く流れて月の半はかならずいろのかはると云り。此嶽の血の池と云ところより出る水なりとぞ。

   蚋(ぶゆ)飛や草さへにえぬ濁り川
   ゝ

 馬瀬口はもと柵口と書て塩野の牧の牧やらいなるべし。

 これより畠山一里ばかり入て八満の里にいたり水篶家を訪ふ。あろじ葛古は十とせまり先に睦みある人なりければ、うちとけてしばし旅心をわする。

 日々にうちつどへる人々は、

   青空はみせても梅雨の五六日
   葛古

   卯花の明りをめぐるながれかな
   魯恭

   松原へかゝりて夜のあつさ哉
   春甫

 露谷が江戸便に聞ふ(う)るくさぐさ。水篶の家の日記もふたツ三ツ。

   ひる顔の側に風もつ薄かな
   鶯笠

   旅人のはやくも見知る乙鳥哉
   夢南

   人ほどに苦労はみえず帰り花
   曰人

   草臥るものやけし持道すがら
   蕉雨

   よく文にかゝれる木なり梅[の]花
  多代女

   久かたやきかぬとしなき蜀魂
   雪雄

   一人と帳面につく夜寒哉
   一茶

   山かぜの紛れて吹や春の風
   碓嶺

   おく霜の嵐は草にかくれけり
   雉啄

   鷺を見て寒う成たる袷哉
   雨塘

   雨二日夢もひまなし雁の行
   菊塢

   卯の花やすこしかくるゝ家の貧
   八朗

   夏らしき夏ともなしや半ばたつ
  応々尼

   在明の闇をまとめる水鶏哉
   可麿

   きのふにも降べきものを春の雨
   若人

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