生方雨什

『ひとゝせ草』


「更科紀行」・「川中嶋懐古」

 寛政8年(1796年)8月、生方雨什が高崎を立って信州を旅した紀行。『ひとゝせ草』に収録。

 十二日先碓氷の坂のさがしきをこえ、小諸の駅より千曲河柴橋のいぶせきを渡り、西上人三とせ住給ふと聞へし布引山救世ぼさつにぬかヅき、かしこを見るに、谷のはざまにして所セき也。後の山に登るよすがとて削なせるごとき巌に鉄のくさりを垂たり。

 柳居先師のすさミを思ひ合せたり。折しもうしろに人あり。とへば「戸倉なる虎杖庵とゝもにおなじ所の月見んと契り置しが、おそなハりぬればこミちして行也。いざせ給へ」とたのもしげなるに、いざなふ老のあゆみたどたどしく、はるかにへだゝりしをほのよぶ声したひしたひて鳥の塒求るとき、山口に向へば芭蕉翁の碑

   俤や姨ひとり泣月の友

芭蕉翁面影塚


 先の松露庵烏明社中いとなミたてゝ深魚の筆。根芝に頭をたれて道の栄へをねぎにける。

 十六日。八幡の広前に手を合せ、各と手を分ちて、冥々唯ふたり戦のあと見ばやと、川中嶋さして行手を名所をはるかに見やり、一重山の心をひとつにして、とミに御幣川黛山にをもてあハす。

 未の下り丹波嶋にかゝれバみかさ増り犀川二瀬に分れて渡しをとゞむ。ひそかにとへば瀬がしらに田舟ありと聞て入ける。日影に向ひ川添を行バ小舟見へたり。ひたすらに頼ミて「如渡得船」の経文を思ひいでゝ狂歌、

   かの岸ハ追ての事よ丹波嶋渡りに船を得たりかしこし

 大久保村のきしにつき、小むら四つ五ツ過て御仏のましますちまたに出たり。十六日の影いまだ出ざるに、

   月と共に我もいざよふ善光寺

 戌のさがりに門前てふ旅籠屋に冥々とゝもに沓の紐ときて休ふ。

 十七日朝まだき、御堂に詣けるに遠近の人むれ居て声もおしまず仏の御名を唱ふ。ともし立并べたるにこがねちりばめしミまへのかざりかゞやきてずしやかなるに、鉦打ならし今や戸張かゝぐるにぞ。ミな筵に額をあてゝあまたゝび拝ミ奉るも尊し。

   御戸張の光身にしむ旦(あした)

      往生寺

   刈かやの下おれふまぬ御山哉

      横吹峠目前

   蟷螂やいざり車に草隠れ

 上田如毛亭狂歌会。題「旅中秋雨」。

   旅衣きまゝにふれよ更科のつき見てひまハあき雨の空

寛政11年(1799年)、『ひとゝせ草』刊。

生方雨什に戻る