五味可都里

『花之跡』(可都里追善句集編)


五味可都里追善句集

文化14年(1817年)9月14日、可都里は75歳で没。

文化15年(1818年)4月22日、文政に改元。

文政元年6月、源為祥序。文政元年8月、蟹守跋。

我伯父雪亭葛里、今年七十あまり五とせの秋の月をかぎりの詠として、のこれる菊の香を記念にとゞめ、文もかよはぬ世界の人となり給ひぬ。おのれいと若かりしより、朝ゆふにつかへ侍りて、こゝろの浅茅つばらにことゝひしつゝ、こゝらのとし月を過ぬ。今はその聞えさへむなしき床のまくら辺に、涙の淵をなして

櫂をれてたのむかげなし秋の水
   蟹守

五七日にあたれる日、泉の精舎に斉会(ヲカミ)のむしろをまうけ、おのおの香を捻りて

   俳諧百韻

月花のこゝろをさめて初しぐれ
   葛里居士

 蝶とりいかにこの日このふゆ
      蟹守

背馴染ぬ鞍を漸おきすゑて
      嵐外

 朝のいとまにわたるすな川
      静菅



   哭葛里大人

翁を柱にとりて、今も此国にいきて遊ぶ事二十年。既に二十年のけふになりて、此柱むなしくくちぬ。長月中の五日、くさも木も、足腰も秋風にをれて、甲斐にもひとつ涙川ながれぬ。

うとましき時やうけらの花の時
   嵐外

   其三 於丼々橋興行

木のぼりを女子もするよ桃の花
   葛里居士

 春の流やはるの水鶏や
      一作



   有門はこえるに益なし
   無門は戸さして友なし

有ものはよくありながら花に夜
   夏目
   一作

明ぬ夜のうれしかり鳧春の雨
   教来石
   甫秋

子規なくや小麦のはながちる
   藤垈
   道等

   其十 於黄楊門興行

臼杵もみな仏なり雪の庭
   葛里居士

 ほそき匂ひをしぼる寒菊
      漫々



みぎひだりの耳の底をはらひて、四方の聞ためをかきつらね、この追善の副(タスケ)となしぬ

今日の名にこそあらめ初桜
   信濃
 素檗

十六夜の闇は捨てもすてられず
 若人

心やりてぬれぬ日もなき田植哉
 武曰

朝すゞめ機嫌になれば雪の降
 鸞岡

散る花や泥に埋るゝ舞あふぎ
 伯先

   旅中

斯う寝るも我が巨燵ではなかり鳧
 一茶

若竹やひらけぬ枝の雨かはづ
   上野
 鷺白

行秋の雀悲しむすゝきかな
 詠帰

蝶鳥や死ぬ日が先になる仏
   陸奥
 乙二

傘もてといふて紅葉の便かな
 雄淵

名の人のそれぞれに月の筵哉
 平角

ひとしぐれしては日暮る桧かな
   常陸
 松江

何の木の帳を降出す初しぐれ
   上総
 里丸

世はあれのこれのとて菜が花になる
 白老

雪ならば幾度袖を原の月
   江戸
 道彦

若艸の道の横手に不尽の山
 蕉雨

鶴まねて戸口もあるに春の水
 国村

名月や晴ての後の気くたびれ
 午心

淋しやな嬉しやな雁の渡る声
 一峨

秋風やさむる暑さは目につかで
 鶯笠

   隅田川にて

酒のみを見知るや雪の都鳥
   相模
 葛三

あてつけるやうに枯けり芒の穂
   伊豆
 一瓢

はるか過てそれとはしりぬ時鳥
   三河
 卓池

枯枝にとまらば折む閑古鳥
   尾張
 岳輅

庵の道鹿の通ふて人もふむ
   河内
 耒耜

飛先の月夜になりぬ鷦鷯
 雪雄

梅が香の地にしむ時歟啼蛙
   播磨
 玉屑

柳とは心つかぬに月夜かな
   兵庫
 一草

五月雨や鶯啼て寒くなる
   備前
 閑斎

山風やひとつかみ程枯尾ばな
 玄蛙

月に心うごけば啼かぬ水鶏哉
   日向
 真彦

さればこそ月もさはらね天の川
 鹿古

みじか夜も恨まぬ竹の雀かな
   越後
 幽嘯

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