俳 書

『花の雲』(千山撰)


元禄15年(1702年)、『花の雲』(千山撰)。自序。鳥落人跋。

 井上千山は播磨姫路の豪商。本姓は越智。通称は平福屋三右衛門。広瀬惟然に俳諧を学ぶ。別号春曙庵。

享保11年(1726年)11月14日、没。

故翁の手跡をなん、とし月我懐にのみ、これすらむかし忍ぶのしのび摺、見にまかられける時の句なれば、なをあはれさ中々にこそ。

もぢ摺石はふくしまの驛東一里斗に、山口と云所に有。里人のいひ傳へ侍るは、往來の人の此石試むと、麥草をあらし侍るをにくみて、此谷に落し入侍るよし。今はちがやのなかに埋れて、石の面は下ざまになり侍るとかや。誠に風流のむかしにおとり侍るぞ、いと本意なくおぼえ侍る。

早苗つかむ手もとや昔忍ぶ摺

武陵芭蕉菴桃青

このたはぶれを今、集の濫觴としてあちらこちらの文に聞えつる佳吟をも、梓にものせんとする行脚鳥落人が見て、此名をかちん染と言むか。いやいや花の雲と呼ん。そのより所はとゝへば、例の氣量無差別といひながら、その草枕のながめもさぞあらんものか。

播陽春曙菴 千山

   

松風のひき捨を啼うづら哉
   浪化

何なりとからめかし行あきの風
   支考
  
老の身の形見におくる秋の風
   智月

ずつとたゞ藪に木のある秋の風
   千山
  ブンゴ
朝夕に見る子見たがる踊かな
   りん女
  大つ
見へましたお相撲見へた見えました
   尚白

   湖南人にわかるゝ
  吉備
うつむいて別るゝ道や草の露
   高世

   長崎にて

浦人を寐せて海見る月夜哉
   去來

   松嶋に舟をうかべて

嶌々や邪魔にもならず蔦かづら
   千調
  散人
しら菊や二ツならべて後の秋
   雲鈴

   旅 行

物掛て寐よとや裾のきりぎりす
   丈艸
  大坂
あき雨や笹の裏葉を吹とをし
   諷竹
  ブンゴ
みそさゞいみそさゞいとて渡りがち
   朱拙

   ふしみ夜舟にて

ぼのくぞ(ば)に雁落かゝる夜さむ哉
   路通

   

有明にふりむきがたき寒サ哉
   去來

山茶花や開きはじめの一調子
   りん女

   野明別野にて

柴の戸や夜の間に竹を雪の客
   丈艸
  ゼゞ
木津川や舟で氷をたゝく音
   正秀

   
  羽州
鶯に雨をはらしてくれたふて
   重行

   破禁盃
  カゞ
よしや死ぬ花にきはめし酒の數
   北枝
  越中
畑にも成ふ野を行花にけふ
   路健
  大坂
角菱の餅にありとも桃の花
   鬼貫
  大つ
かはづ啼此聞やうは有ふ物
   乙州

   ばせを廟前

打むかふ春やむかしの塚の草
   浪化
  備中
咄しきく中に鼾や朧月
   除風

水風呂に夢見る朧月夜哉
   支考

   

霍公たゞあり明の狐落
   キ角
  ヲハリ
廻り道は造作がましや時鳥
   露川
  ヒコ子
郭公啼や田植の尻の上
   許六
  吉備
うつくしい腹を田うへに見てくれふ
   高吉

   麥かり風もそよめきつゝ、この山
   にぬかづくとはべるとしは、元禄
   の午なれば也

夜にせふぞながむるならば吉備の山
   惟然

   雜 体

   

秋草の野原ぞ馬も太鼓うて
   惟然

うつくしう夜が明也淡路嶌
   路通

   人丸の社頭に月を見て

いやるないの所は明石三五の暮
   梅翁

ながめ合秋のあてどや寺と舟
   丈草

逗留にくもり晴あれ須磨おもて
   風國

   人丸の社頭を拜す

やんわりと海を眞向の櫻の芽
   惟然

月を見ても物たらはずやすまの夏
   翁

   あかし

霍公きえ行方やしま一ツ
   仝

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