白井鳥酔

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『風字吟行』

 宝暦6年(1756年)2月29日、鳥酔は松露庵を出て甲州街道を行く。榎本星布の糸明窓に宿り、窪田古由の茶睡庵に留まる。3月23日、烏明と同地の禅僧星飯を伴い東海道を大坂に向かう。

宝暦6年(1756年)5月、新井白蛾跋。

留別辭            鳥醉

やゝ二十年來道の爲めに箕濮の志を曲てひたすら折腰の人にも似たりけり。かつ常に佗流を譏つて口に毒ある人となれるも、盗跖か犬の堯舜を吼るにひとしく、我は唯

蕉門を知つて主一無適なれは罪なかるへし。同門左明を松露庵に置かえて、けふから

先師の遺骨一課并に讓り給ひし点式一筒を長物とし、頭陀の所帶に世の中よかれと六氣に御して遊ふにかならす方なし

   祖 座

霞とともに都を立て奥の秋風を聞しむかしはしらず、我師
百明叟は此きさらきや吾妻を出てやうやう白河橋の麥秋に
至るなるへしとおもひやりて

行わたる白河遠し華の雲
   左明

松籟主人か餞別の一句をはしめ、鼠麥百卉深魚白水羽橋女、その餘の吟をめくりあはむ迄の記念と俳嚢に納め立出ぬ。二月廿九日旭よく晴たり。

住馴たる銀塘の草庵をゆつりて旅立我は、雲にも似たり水にも似たれば、いつ歸らん期を約する首途ならす、唯命あらは再ひめくり逢ふ事を幸也と見おくる友とちに岐言して漂泊の初やとりを武藏國なる府中にとゝまる。されは年頃風雅に弟兄の交せし人々の流石になつかしく、闇の戸ほそをもる星の更行く六社の神樹にねくらしたる鳥の語るを語く。

   枕 上 吟

あれも巣を出て寢かねる歟鳥の聲

   玉川を望む

きさらきは青うさらすや川柳

      榎本氏か許にやとるその母仙朝その室星布とともに
八王子
      途中の雨を乾かすこゝろさし厚し

春雨や耳にわすれぬ杖の音
   仙朝

笠の端に忘れぬ香あり花の雨
   星布

      茶睡庵

武州八王子千人町に庵あり茶睡といふ、古由君の別墅也。園の廣サ五千畝、その中に建つ、四隣みな桃を愛す。一日主君と共に瓜風歸君にしたかひ遊ふ、妖媚たる花につゝまれては醉へるか如し、さらに人語を聞す世事を忘る、むかし天臺山に入て七世の耳孫に逢ふ事を思ひ出す。主君や勝負ある交りは七情を動かすとて、、たゝ常に茶經を枕として茶に睡り、さむる時は談笑の章を諷ひたのしみとし給ふのみ。

   睡後吟

桃園や一鍬道にふみ迷ひ

紫の雪消えてからもゝの華
 星飯

小原女やうちに居る日は桃の花
 古由

   江都文通

とちらへも京は梺や花の山
 秋瓜

遊ふ日の空ふたつあり華盛
 百卉

餞別の吟老て左明より來る

青柳や行さきさきに空の花
 徐來

不二ひとつ見失ひけり花の中
  八王子
 書橋

青柳のとゝいて解や水の音
   栗橋
 素人

老のひとり旅こゝろもとなしとて、連中の誠より烏明來り、春暁庵主星飯もまいらるへきなと古由君の助け給へは、同行三人是からは流沙の難もあるはからすと、やよひ廿三日杖連ぬ。

   祖 道 秋はかならす來るへしと約して

染て來る都は遠し花衣
   古由

   留 別

もゝ園や我を見おくる花の醉
   星飯

   かれかこゝろさしを感し、をのをの留別

蝶もひとつ蕨の手から渡しけり

若草や是から何を道しるへ
   烏明

稀にあふ人も別れや山櫻
   星飯



平塚の驛へ出る。爰を王程萬里行の始とす。大磯の鳥路亭を音信てあふ、折節いそかしきを見て互に句なし。

酒匂川に望む。折から雨後の瀬例より汎漲とし目くるめきて、猶々老の足にかなふへからすと打詠居たるに、そこの村長鈴木氏杉鳥子は元より同門の交り深し、はからすもそこへ杖ひき來りやゝ日の影永う傾く迄語り別るゝに、ありあふをのことも數多下知せられて、輦臺といふものに打乘り人に骨をおらせて越けるは、翅に風を得たるに似たれは、一章をもて臺の歸りに乘せて謝す。

   蝶々や吹れてわたる川の上

小田原まて見送れ(ママ)たる夜醉麥川芦川に分襟の句々取かはす。早川を越え早雲禪扉に五代の哀をかそへつゝ、名に高う岨しき所々は、鶯に耳を休め甘酒に咽をうるほし、やうやうと賽河原に至りて

行春や是も跡追ふ浪の音
   烏明

金陽百二關 天嶮武西門 美哉磐石固 万古在函根と、東里先師の一絶を思ひあはせて、通れの聲に罪なき身さへいと嬉しくてやとりを求めぬ。背戸に向て芦の海の水青う目をやれは、浪に連る山の頂に芙蓉の白く、一曾(ママ)高きは繪にもあるましと、星法師か感するを聞て

   行春や繪になき不二の向處

乙亥の秋松島行脚の折から、彼西行戻しの坂より望み、誠に紅葉を交せぬ島かなと、此法師の感したるを耳に入て

「松島や紅葉を交せぬ水の色とまふけたるに、けふも又一句を得たりと笑ふのみ

沼津驛   舊交の青布法師が草庵をのそいて逢ふ。きのふ摩訶般若書寫の筆はしめせしといふ机上に其用意あり。御ときやうひとりしてよみはしむると清少納言かおもへるより、猶はるかなるものなるへし。

施さむ我道草のつくつくし

  藤長々と書寫の行末
   青布




清見寺

此寺を風の終りや三保の夏
   星飯

宇津山   荷持の小童にたはむれて

なてし子の荷持迷ふなうつの山
   ゝ

嶋田驛泊   はからすも道の兄なる琴堂君に謁し奉りて

   けふ爰に夢かとはかり初茄子

蕗露窓主人行脚の折から訪はれて一章をおくられ、しはし閑談にたのしかりし。されと何もてなさんもらうかはしけれは

古翁の句を思ひ出て

問ふ人も花橘や新茶時
   琴堂

琴堂幸にましまして大井川の渉りに下知なし給りけれは、輦臺に胡座して越たるは、有かたく覺ゆ

一聲の川に浮けりほとゝきす

大井河や浪も幾筋青嵐
   星飯

大井川うき草もたぬ水の色
   烏明



夜啼石 角文字の伊勢なる石の如くものいふ事をうつすにもあらす、那須野の原にある石に似て殺生をするにもあらす、雨にも飛はす風にも動かす無能なりといへとも、無量壽佛の御名を彫て捨置るはさすかに謂なきにしもあらし。もしは弘法大師の例の細工にやしらす。

澤ふかし石の谺に啼水鷄

跪ぬ石に聲ありほとゝきす
   烏明

袋井驛 江戸屋何某を訪ひ寄て午飯を惠るゝ。江都羽橋より文通、左明よりの朶雲届

   松露庵へ文通

逃水の上に連たつ胡蝶かな
   上總
雨林

庭掃の跡へまはるや落椿
林鳥

惠心寺を出替つて來て茶摘哉
弄船

能因を待戀にして啼蛙
呉扇



八橋覧古

花に見る翡翠の顔や橋の跡

涼しさよ橋は崩れて鷺一羽
   星飯

今も見る畔の蜘手や早苗時
   烏明



鳴海驛   千代倉 和亀久亭に泊

   阿父龜世叟の隱れ家を尋侍る。祖翁在世の人なれは聞く事み
   なめつらしく、しはしは風話をなす。かつ翁の遺物あり句なくて
   は拜ませすとあれは、一つ脱てとありしに思ひ寄た

衣かえ後に負し笈床し

初蝉や笈に取付く浦の宿
   星飯

夏草や笈の蒔繪も茂る頃
   烏明

   前書あり

紫は江戸のゆかりや杜若
   和亀久

水鏡見て夏を覺る

   名 録

夏痩の鏡の裏や瀬田の橋
   龜世

稲妻のまたかたまらぬ螢哉
   蝶羅

      千鳥塚眺望

   ね覺は松風の里、呼つきは夜明てから 笹(ママ)寺は雪の降
   る日

   星崎の闇を見よとや啼千鳥

こゝに眞跡を拜す。此句を得給ひたる所は、驛を西へ三丁はかり出て右の山際山王宮孤森の側なる岡に遊ひ給ふ時の事也けり。翁みつから身後のかたみに千鳥塚といふものを築んとて小石を拾ひ重ね給ふを、知足をはしめボク言安信重辰自笑合資して終に成就せりとそ。知叟か孫蝶羅子にいさなはれてその塚邊につくはふて見わたせは、天池(ママ)の渺々たるを中に置て勢南に秀たる鈴鹿朝熊の山々薄墨をもて畫に髣髴たり。こなたに星崎七郷の人家、寐さめの里、松風の里つゝいて呼繼の濱をのをの眼中にあり。むかし海人の焚さしといへる薫香は此濱より出しとも傳ふ。濃(こき)といへる磯草あり、かたちは似たれとも荻にも芦にもあらす、緑の浪の上に戰く。笠寺は松のひまひまに透て、目の及ふ所みな歌枕なれは、鳴海百首の詠もむへ也。代々の詞客こゝに來て心をとゝめさるといふなし。

      星崎の晝は巣て見る千鳥哉



   水鷄塚

水鷄啼くと人のいへはや佐屋泊と聞へたる旅寢の吟は、元禄遷化のその年の夏誰かれ陪して此驛山田氏名は伴右衛門といふ をあるしとせられける時の事也とそ。予ことし東海道を歩遊し見るに、水鷄聞ん宿は全く外にあらしと爰に來て猶々感す。されはこそ天下の風士皆しつて仰くもの泰山北斗の如し、むかしは韓愈か没して後其言盛に行はるゝにもひとしからん。享保乙卯の六月吟山子を礎とし巨桃寄潮等龜志宜等合信して一簀の土を重ねつゝ築て塚を水鷄と呼ふ。所はかの山田氏か宅の跡今は吟山子か持つ門外の畠也 東隅に南北十間あまり東西八間はかりなる地を卜す、驛を去る事僅百歩に過す。東は耕作の細道を隔て八幡の社に隣り、三方は田なり畠也、晝も水鷄の走る溝川なり。塚上の碑面には其遺章を彫み、其銘は月空居士か筆を揮てあはれふかし。是を拜み見るには其神燈明らかに照して常に絶す、櫻も枯す松もつれなからす、白樫榎なんと蔚々と葺に似ておのつから雨露を漏さす、牛馬も心あれはにやさらにふます村童も手を入れすして精露を守る。まことに所を得たるといふへし。大なるかな祖翁の徳や、行先々にかゝる記念あり。しはしは碑前にかしこまりて立去る事を忘るゝのみ。水鷄なくといへる人は何ものそや、世を宇治山といへる人は誰そや。火を水に入いひなすとおもへる俳諧といへとも、利口は風雅につたなきものにや。「鳩ほとゝ人はいふなりかんこ鳥とありし柳居先師の一章もいふ人はしらす、長安に下馬陵あるを聞は爰にも又さみしみに遊ふ、膝栗毛の旅客はかならす杖をとゝめ笠をぬいて拜す。時に寶暦第六丙子の孟夏十又九日主人吟山子か需に應す。鳴風館南窓碧玉竹の陰に於て東都散人百明坊記す。

殘る花人にいはゝは(ママ)や水鷄塚

いささらは塚に通夜せん水鷄時
   星飯

水鷄塚聲さかし得ん木下闇
   烏明

杖突坂

鶯も老のたすけや坂の竹

草臥て杖ひく坂や蝸牛
   星飯

竹の子や杖になる迄坂の主
   烏明

石 山   大悲閣

やとり木の若葉に暗し源氏の間

石山や石もくもらぬ苔の花
   星飯

夏山や石に背かぬ日のうつり
   烏明

大津驛   義仲寺碑前

塚淋し草へ飛込む雨蛙

かけまはる夢の跡追ふ水鷄哉
   星飯

凉しさや塚も尊き風の恩
   烏明

信友至凉か公の用ありて難波へ赴くとて、走井の茶店に逢ふ。江都の無事をもくはしく聞互によろこひあへり。天滿祭の頃は尋ね行へしと、いひかはしてわかるゝ鞍上の吟

風凉し目も走井の水の上
   至凉

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