与謝蕪村ゆかりの地



「北寿老仙を悼む」の詩碑

結城市結城に妙国寺という寺がある。


妙国寺


 法頂山妙国寺と称し、貞和元年(1345年)、日宣上人を開山とする日蓮宗の寺院です。

 当寺には蕪村の俳詩「北寿老仙を悼む」で知られる「北寿=早見晋我」の墓があります。

 早見晋我(1671〜1745)は、結城十人衆と称される由緒ある家に生まれ、名を義久、長じて新右衛門、さらに次郎左衛門と称し、北寿と号しました。家は、代々名主をつとめ、醸造業を営んでいたことなどから、若くして、江戸に遊学、俳諧を榎本其角・佐保介我らに師事しました。

 帰郷後は、家業を営むかたわら、自宅に私塾を開いたり、結城の俳壇の中心人物として活躍しました。

繰言の珠数のしら玉菊の上   晋我

 晋我や郷土の俳人・砂岡雁宕らを頼り、結城に滞在した蕪村との交流は、広く知られるところです。延享2年(1745年)75歳の生涯を閉じた晋我の訃報に、蕪村は師と仰ぎ、兄とも慕う晋我への思いを追悼の俳詩に詠んでいます。

君あしたに去りぬゆふべのこころ千々に
  何そはるかなる……(以下略)

と綴られるこの俳詩は、時を越えたリズムと詩情で私たちの胸をうちます。

 晋我の永眠する当寺の境内には「北寿老仙を悼む」の詩碑が建てられています。

結城市教育委員会

「北寿老仙を悼む」の詩碑


北寿老仙を悼む
 
君あしたに去りぬゆふへのこころ千々に
何そはるかなる
君をおもふて岡のへに行つ遊ふ
をかのへ何そかくかなしき
蒲公(たんぽぽ)の黄に薺(なずな)のしろう咲きたる
見る人そなき
雉子のあるかひたなきに鳴を聞は
友ありき河をへたてゝ住にき
へけのけふりのはと打ちれは西吹風の
はけしくて小竹(ささ)原真すけはら
のかるへきかたそなき
友ありき河をへたてゝ住にきけふは
ほろゝともなかぬ
君あしたに去りぬゆふへのこゝろ千々に
何そはるかなる
我庵のあみた仏ともし火もものせす
花もまいらせすすこすこと彳(たたず)める今宵は
ことにたふとき

釋蕪村百拝書

庫のうちより見出つるまゝ是にしるし侍る

 昭和59年11月3日

結城市文化協会

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